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第36回:医療系の関心事とRWD

2023年9月22日

2020年10月20日から、3週間に1回、大手製薬企業勤務で“えきがくしゃ”の青木コトナリ氏による連載コラム「疫学と算盤(ソロバン)」がスタートしました。

日経BP総合研究所メディカル・ヘルスラボWEBサイトに連載し好評を博した連載コラム「医療DATAコト始め」の続編です。「疫学と算盤」、言い換えれば、「疫学」と「経済」または「医療経済」との間にどのような相関があるのか、「疫学」は「経済」や「暮らし」にどのような影響を与えうるのか。疫学は果たして役に立っているのか。“えきがくしゃ”青木コトナリ氏のユニークな視点から展開される新コラムです。

                     (21世紀メディカル研究所・主席研究員 阪田英也



“えきがくしゃ” 青木コトナリ 連載コラム

「疫学と算盤(ソロバン)」 第36回:医療系の関心事とRWD


存在意義(パーパス)

私は何のために存在するのか、そして何のために生きているのだろうか―


こうした疑問を誰しも一度は考えてみたことがあるだろう。大抵の人はこの難題について思案するとドツボにはまりそうで浅いレベルでその沼から脱出するのだが、一部の人の中にはこればかりを一生かけて思案するという人もいるようで、こうした人たちを私たちは哲学者と呼んでいる。


このところのビジネスシーンでは「パーパス経営」なるテーマでシンポジウムなどが開催され盛況なようであるが、この「パーパス」なるものは日本語で「存在意義」であり、ある意味において哲学分野がビジネス分野に浸食してきたともいえるかもしれない。


マネジメントの父と言われたピーター・ドラッガーは「利益とは何か」の問いについて、いくつもの言葉を残しているが、俗っぽい表現を使うならば利益を出せる企業は社会に存在してよいのであって、そうでないならば社会からは存在を許されていないという解釈になる。企業にとって「利益を出す」というのは存在意義に関わるのである。


一方で氏は、「しかしそれは企業や企業活動にとって目的ではなく条件である」という言葉も残している。ビッグモーター社のニュースなどをみると、顧客の幸福など顧みずにお金儲けをすることが企業の存在意義のような価値観に陥ってしまっている会社は少なくないのかもしれない。これは目的をはき違えているということになる。


もちろん、利益の追求活動は私の所属する製薬産業にあっても他山の石ではない。行き過ぎた営業活動によってお叱りをうけたという話は毎年のようにある。ただ、そうはいっても取り扱っているのが人の命に直結する産業である。例えば売り上げを伸ばすためにウラで感染症を拡大させよう、なんていう恐ろしい発想はもはや人類とも思えない話で、まず考えられないことだ。製薬企業は利益を出さなければならないが、その存在意義はそこではなく患者さんを病魔から救うことにある。


先回はRWD(リアルワールドデータ)を、医薬品の承認申請にどう活用するのかというテーマをとりあげたが、今回はメディカルアフェアーズ(Medical Affairs)部門においてどう活用するのかを取り上げる。それこそRWDの存在というのはこのように製薬企業が使うために蓄積されたわけではないため、その適切利用にはかなり骨が折れるものではある。そんな中にあって医療上の関心事(=メディカルアフェアーズ)はこれをどのように「患者さんを病魔から救う」ために利用しているのだろうか、概観してみたい。


メディカル・アフェアーズ(MA)とは

MAは欧米において既に50年を超える歴史がある機能だと聞くが、ここ日本においてはまだまだ歴史の浅い、誤解を恐れずにいえば未成熟な機能である。こうしたこともあって、製薬産業の外側の人にとってみればMAという組織が何者なのか正しく理解できている人は少ないだろうし、そもそも聞いたことがないという人もいるだろう。そこでまずはMAの概要について触れておくことにしたい。


MAとはどんな機能だろうかを短時間で知りたい人は製薬協が発行している種々のドキュメントが参考になるだろう1)2)。医療に関わる情報を医療者に提供することを生業(なりわい)としていると捉えることは間違っていない。内包するMSL(メディカル・サイエンス・リエゾン)なる職務はその先鋒であり、営業機能とは独立しているところも大きな特徴である。成熟度の高い外資系にあってはMAの社内会議に営業部門の者が出席することは許されないとも聞く。ただし、大抵の企業においてMAは営業職からの異動者が大きな“派閥”を成しており、「営業のための機能」と曲解(?)している人も少なくないというのが日本のMAの実態かもしれない。


ここで冒頭の「パーパス」が重要な視点となってくるのである。営業職を会議から“締め出す”などというのは「企業は営利目的で存在するもの」と勘違いしている人にとっては全くのナンセンスだろう。案外とこれは製薬企業の外の、医療者らからも聞こえてくる。私自身の経験においてもMA的な研究を実施する際、社外の倫理審査委員会の先生方からこうした偏見に満ちた(?)質疑を受けガッカリしたことがある。「どうして製薬企業がこんな(営利目的でない)研究をするのか。」と。まだまだMAの社会的認知は不十分だ。


MAが企画する研究

さて、このようにMA機能自らが研究を企画することも多い。医療者への情報提供といっても、専門医であれば当該の疾患には最も詳しいハズであり、本やネットで知りえる情報をわざわざ製薬企業の社員から聞きたいわけではないだろう。情報価値の高いのは、地球上の誰もが知らないものであったり、あるいは少しは知られていても「欧米での研究はあるが、それが日本に当てはまるかどうかは確証できない」といった情報満足度に対する不足なのであり、それを求めてMA自らが調査・研究に乗り出す必要が生じるというわけだ。


MAが行う研究テーマを分類すると、大きく分けて下記のようになる。


(1) 医薬品等の処方実態に関する研究

(2) 医薬品等の有効性に関する研究

(3) 医薬品等の安全性に関する研究

(4) 医薬品等の治療満足度に関する研究

(5) 医薬品等の経済性に関する研究

(6) 疾病そのものに関する研究


医薬品「等」としているのは、そこにワクチンであったり、医療機器であったりが含まれるからである。放射線療法のような「療法」も含まれる。


これらのうち、特に(3)については別途、ファーマコビジランス(pharmacovigilance、PV)、(5)や(4)の一部についてはHEOR(Health Economics and Outcomes Research、医療経済・アウトカムリサーチ)やHTA(Health Technology Assessment)といった概念定義があり、狭義ではMAとは別というとらえ方もある。また、会社によってはこうした概念を別でとらえる一方で、MA組織に内包しているところもある。要するにMAとは「医療系の関心事」の総称であり、何でもアリなわけだ。

ではそれぞれどういった研究があり、そこでRWDはどのように利用されているのか整理してみよう。


(1)医薬品等の処方実態に関する研究

どの地域にどれだけの人数が自社の医薬品を処方しているのかは大いに関心のあるところだ。男女別の割合や年齢構成比、あるいは治療を完遂できている人がどれくらいいるのか、投与期間や総投与量、合併症の人の割合や併用薬の頻度など、医療現場はこうした情報が欲しいに違いない。


もちろん、医療者にしてみれば当該の製薬企業の医薬品だけでなく、疾患全体としてみたときにA薬とB薬、あるいはC薬やD薬といったように様々な治療別に患者背景の分布が見たいことだろう。MA機能はこうした情報を獲得するために観察研究を実施することもあるが、自社品の処方例だけでなく他社品の処方例も調べるうえでコスパや時短を考えるとRWDを使った研究は第一選択となることも多い。


(2)医薬品等の有効性に関する研究

医薬品等は有効性があることが証明されたから発売されているのであって、「有効性」は医薬品のパーパスといえる。それを発売して以降にまた調べるというのは合理性に欠けるような印象を持つかもしれないのだが、そんなことはない。


限定された人数で、限定された年齢層、限定された観察期間しかわからない中で承認が許されるという、臨床試験には限界が常にある。治験の結果としては有効性が証明されたものの、では実際の使用実態下においては果たしてどうなのか、というニーズは満たされているわけではない。それどころか現場の臨床医にしてみれば妊婦や小児への投与など、しばしば“適応外”における有効性も知りたいことがあるだろう。前回のコラムで取り上げたように、こうした使用実態情報を元にして適応追加に至るという可能性も全くないわけではない。


また、有効性を判定する指標の研究もニーズが高い。測定値の閾値(しきいち)はどこで区切るのがいいのか。あるいは既にある判断基準では使い勝手が悪く、医療者ないし患者負担が大きかったり、判定結果が得られるまで時間がかかったりすることから、代替となる指標は無いのかといった研究もニーズが高い。


一方で、こうした研究テーマの中でRWDが実際に使えるケースというのは必ずしも多くはないといえるかもしれない。「あくまで暫定的に」といったようなところでアタリをつけるためにRWDを用いた研究を行い、その結果を得たのちに、いよいよ本格的な介入研究や観察研究を企画し実施しようという判断に生かすという使い方がRWDの“身の丈にあった”使い方といえるかもしれない。


(3)医薬品等の安全性に関する研究

日本に限らず各国とも医薬品を処方した後に発生した副作用症例を監督省庁に報告する制度が設けられており、これはICSR(Individual Case Safety Report、個別副作用症例報告)と呼称する。たとえばICSR制度の中で集積された症例のうち半分の症例が小児だったとしよう。これは何か起きているのだろうか、ということが大いに気になるハズだ。


こんなときにもRWDがあると便利だろう。(1)と同様にして年齢構成比をみてみるとよい。実際に患者の半分が小児であるかもしれないし、その逆に処方例の中で小児はわずかしかいないかもしれない。こうした情報が因果推論を大いに助けてくれるはずだ。


(4)医薬品等の治療満足度に関する研究

ベネフィット&リスク(B/R)バランス、というワードを聞いたことがあるだろうか。文字通りに解釈するならば前述した(2)と(3)だけ、つまり有効性と安全性をセットでとらえて医薬品の“存在意義”を判定するというニュアンスになる。


しかしながらB/Rという概念はそれに留まるものではなく、例えば同じB/Rであっても注射剤より錠剤の方が“勝ち”だろうし、通院の回数や検査の頻度などもB/Rには関わる。MAはこうしたアプローチで医薬品の“価値”を再定義したり精査したりすることを生業(なりわい)にしているとも言える。こうした視点で研究したいと考えたときに、例えば検査頻度や外来頻度、投与期間等、RWDでそのニーズが満たされることもあるだろう。


また、QOL(Quality of Life、質調整生存年)という概念は有効性の指標となる一方で「治療満足度」の指標の一部でもあるだろう。QOLは世界中でその質問項目のベストオブベストは何か、という研究が各疾病や容態別に行われており、これは広く「スケール研究」とも呼称する。その妥当性が証明されたとなるとその質問項目(スケール)は研究者に“特許”が与えられるため、それが研究動機を後押しする。


RWDの中でこうしたスケール項目が含まれているものは現時点であまり多くないが、治療アプリと医薬品との併用が当たり前になってくると、QOLの変化が電子ログとして蓄積され、より活用できる世界が広がることだろう。


(5)医薬品等の経済性に関する研究

“コスパ”という概念は総じて「満足度」の一部であり、経済性の研究は(4)に含まれるということもあるのだが、概して経済的研究は行政判断にも関わるため患者さんの治療満足度とは一線を画すものが多い。


例えば、自社の開発したワクチンを国がその処方を推奨したときに、どれだけの人間が病気にならずに済み医療費が減額できるといった主張をしたいような研究がそれである。これはいわば社会公衆衛生的な視点であり、患者さんの満足度とは色彩が違う。また、医療現場にとってみれば、医療現場が負担するところの人件費や光熱費などの負担減に興味があるだろうし、立場が異なれば「経済性」という言葉の意味合いそのものが違ってくる。こうした医療経済関連の研究においてRWDの存在は欠かせないと言ってよい。


(6)疾病そのものに関する研究

製薬企業にとっての関心事は何より自社が開発し販売する医薬品のことであるが、医薬品やその治療を離れて、シンプルに当該の疾病の何たるかを研究することもある。


例えば骨粗鬆症などは業界内では周知のことであっても、社会一般にしてみたら誰しもがよく知っているわけではない。閉経後にリスクがどの程度高まるのか、骨密度がどの程度だと骨折リスクが大きくなるのか、どの程度の頻度でこれを調べたらいいのか、といった研究を行った結果として得られた情報を社会に“広報活動”すれば、「病魔から患者さんを救う」パーパスに貢献するし、巡り巡って自社の骨粗鬆症治療薬の売り上げにも貢献するだろう。


また、当該の疾病が世界的にみていかに希少性が高いのか、あるいは従来の「治療選択肢なし」の世界であった場合の生存期間はどの程度なのかといった情報が価値のある研究であることは疑いの余地がない。こうした希少疾病の研究に貢献できるRWD電子カルテのような日常診療からのものでは症例が少なすぎるため、学会が運営する疾患レジストリである場合も多い。


存在意義(パーパス)、再び

さて、先日の血液検査の結果ではどうやら私の寿命に大きく関わる病気の疑いが濃くなったため、このところは検査センターに“通い詰め”となってしまった。私も若くないし、自分が何のために存在するのかすらよくわかっていないのだからと、まな板の鯉、どうにでもなれと思っていたところ、思いがけず「何もなし」という最終診断が下った。

やれやれ。そうなってくると果たして「どうにでもなれ」と思っていた自分の気持ちは、果たして本音だったのか、それとも強がりだったのかすらよくわからない。早速、診断結果を家族に報告したらその日の夕食はお赤飯と鯛のお刺身、マツタケの土瓶蒸しであった。おいしい食事、恐らくこれが自分の生きる意味に違いない。


※製薬協発行のMAに関するドキュメント1)2)

1)「メディカルアフェアーズ部門が行う 『医学・科学的情報提供』に関する手引き」

2)「メディカルアフェアーズにおけるデータベース研究の実態と在り方に関する

報告書」



*日本製薬工業協会「リアルワールドデータを承認申請へ~活用促進のための提言~」





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