top of page

第29回:心理学と経済学の交差点2

2023年2月17日

2020年10月20日から、3週間に1回、大手製薬企業勤務で“えきがくしゃ”の青木コトナリ氏による連載コラム「疫学と算盤(ソロバン)」がスタートしました。

日経BP総合研究所メディカル・ヘルスラボWEBサイトに連載し好評を博した連載コラム「医療DATAコト始め」の続編です。「疫学と算盤」、言い換えれば、「疫学」と「経済」または「医療経済」との間にどのような相関があるのか、「疫学」は「経済」や「暮らし」にどのような影響を与えうるのか。疫学は果たして役に立っているのか。“えきがくしゃ”青木コトナリ氏のユニークな視点から展開される新コラムです。

                     (21世紀メディカル研究所・主席研究員 阪田英也



“えきがくしゃ” 青木コトナリ 連載コラム

「疫学と算盤(ソロバン)」 第29回:心理学と経済学の交差点2


おやつにカニ?!

生まれ育ったのが新潟だったこともあるのだろう、子供の頃は友達の家で遊んでいるとおやつにズワイガニを一人一杯(一匹)出してもらうことがあった。カニがたやすく手に入った昔はもはや遠い日の記憶、今や高嶺(高値?)の花だ。我が家の食卓に一匹モノのカニが並ぶことがあったとしたら、恥ずかしながらそれはふるさと納税による返礼品であろうことにほぼ疑う余地がない。

ところで、ふるさと納税の本来の目的は、その名の通り自分のふるさとを思う気持ちやその地域に貢献したいという善意を寄付というカタチで表すものだそうである。そんな事情を気にも留めないのは申し訳ないのだが、返礼品として箱買いした高級フルーツを眺めているだけで幸せな気分になる。同じカニでも毛ガニなどはふるさと納税の返礼品で食べたのが初めてで、“本来の意図に反する”ふるさと納税でなかったら生涯、縁がなかったかもしれない。


資本主義社会はお金という“ツール”を使って私たちを色々とコントロールする。自腹では決して購入することのない商品も、ふるさと納税では購入する。中元・歳暮・お土産を選ぶ際は相手様が「あまり自腹では購入しそうにない」、いわゆるコスパの悪いモノを選ぶのが常識だ。これはホモエコノミカス―完全なる経済合理主義者-には理解できない世界だろう。


さて、心理学と経済学の交差点。前回に引き続き、私たちがその交差点で戸惑い、本来進むべきでない方向へどういうわけか誘い込まれてしまう様を概観してみよう。その道案内をするのはマーケターと呼ばれる人たちである。


マーケティングの定義

マーケティングとは何か、とインターネットなどで検索するとその定義は千差万別である。簡単な表現では「モノを売る仕組み」であったり、辛口なものは「不必要なモノを買わせる技術」なんていう定義まである。これだと昨今、巷(ちまた)を賑わしている不当寄付勧誘との違いがあまりわからない。


一方、前回紹介したようにマーケティングの権威であるコトラーによれば「マーケティング=行動経済学」という方程式が成り立つらしい。そうだとすれば、マーケターとはさしずめ行動経済学の専門家ということになろうか。数多の産業にマーケターなる職種は存在する。あるいはそのように自覚していなくとも、営業部の人はモノを売るスペシャリストであり、広義でいえばマーケターと言えなくもない。然るにビジネスパーソンの何割かはマーケターなのかもしれない。


彼らは「不必要」とまでは言わないまでも、「無くても困らないモノ」「ゼイタク品」「他のものでも大丈夫」といった商品やサービスをいつの間にか私たちに買わせる魔法を使う。そしてその魔法にはときに綿密な戦略があり、その論理が概念として定義化されているものがかなりある。モノを売る仕事の人たちだけでなく、買う側の私たちが先回りして彼らの魔法のタネ明かしをしておくことは、自己防衛という意味でも有意義だろう。


マーケターの戦略

私たちがよく経験するマーケターとの接点-モノやサービスの売り買い―の場面をいくつか切り取ってみよう。

(1) 金額設定が198円、980円といったように中途半端

(2) 「人気の商品ですので、すぐに売り切れるかもしれません。」

(3) スーパーでの試食サービス

(4) TVショッピング「さらに値引きします」「さらにオプションをお付けします」

(5) 「月々、5万円のローン払いです。」

(6) ピザを1枚買うと、もう1枚は無料

(7) ゲーム課金

(8) Web上の星評価


私たちがこうした場面に出くわしたとき、その背景にある“戦略”については必ずしも無自覚という訳ではなく、ときに「騙されてはいないか」と疑ったりもするだろう。さりとて具体的にどのようなマーケティング戦略であり、どのように“騙されている”と、その戦略名まで知っているという人には出くわしたことがない。


それでは(1)~(8)を参考に、果たしてその裏側にはどのような論理があるのか、マーケティング用語で整理してみよう。なお、学問領域の境界が曖昧であることは以前に触れたが、今回ピックアップするマーケティング用語は必ずしも行動経済学分野に限定されるものではないことをお断りしておきたい。


(1)端数価格効果

(1)はお馴染みのことだろう。価格を中途半端にする戦略は端数価格効果という概念に基づくものだ。わずか1円、2円が違うだけの「198円」は左端の数字が意識され「100円台」ということで200円と比べて数十円もの差異を私たちの脳は勘違いしてしまう。


野球ファンならご存じの「3割バッター」がそうであるように、打率の表示が「.300」と「.299」とでは実力差以上に天と地ほどにも認識に差異が生じることもある。往年の大打者、落合博満氏が1988年に打率3割に届かなかった際(.293)、これほどまでに寂しいものかと思ったと回想している。要するに私たちは左側の大台の数字(.300ならば3割バッター、.293ならば2割バッター)に異様なまでに意識が向いてしまうのだ。


(2)希少性の原理

10食限定や本日限定といった戦略は「希少性の原理」に基づくものだ。バックヤードにはたくさんの在庫があるのに、店舗にはあえてわずか2,3個しか展示しないという戦略も然り。(2)はこの原理原則に基づく常套手段である。日用品ならば痛手も少ないが、不動産の購入など、高い買い物をする際にもこうした戦略-“こんな物件はなかなか出てきませんよ”、“よい物件なので他の人が購入してしまうかもしれません”など-がしばしば仕掛けられるのでくれぐれも注意したい。

(3)返報性の原理

「借りを作ってしまったな」と私たちが感じるところの、「お返しをしなければ」という心理をうまく利用する戦略が返報性の原理だ。(3)のようなスーパーでの試食サービスは「料理方法の提案」を隠れ蓑として、「試食させてもらった」という「貸し」を作ることがコアな戦略といってよい。


もちろん、気に入らなければ試食だけして購入しなければいいだけの話なのだが、素通りしてしまうことにストレスを感じるという人も多いだろう(その点、子供は無敵である)。ご来社の記念品進呈なども返報性の原理を狙った戦略である。


(4)アンカリング

TVショッピングに限らず、販売価格だけ提示すれば用事が足りるところを、わざわざ「定価」を示したうえで「50%オフ」やら「おまけを付けます」といった戦略は、前回紹介した参照点依存性に関係する。


なかでも“アンカー”と呼称するところの、要するに船を停止させるための錨(いかり)のような心理作用の視点からこうした戦略はアンカリングとも呼称される。“元の定価”への私たちの意識は尋常でない。10万円の家具を見ても、「定価50万円のところ80%オフ」と表示すれば随分と安価に感じられることだろう。


因みに、シンプルにTVコマーシャルを頻繁に流すという戦略は、「思い出しやすくする作戦」、想起集合(Evoked Set)の形成を目的としている。その方略として「繰り返し同じメッセージを伝える」戦略にはザイオンス効果という名が付いている。


想起集合が消費者の中で形成されると、「何か飲みたい」「自動車が欲しい」「保険を検討したい」ときに最初にその商品の購入に導かれてしまう。あまり熟慮しないで“即決”する思考を行動経済学ではヒューリスティクスと呼称するのだが、中でもこうしたコマーシャル効果は「利用可能性ヒューリスティクス」と呼称される。


(5)現在志向性バイアス

単に「現在バイアス」ともいう。ローンの支払いなど、将来における負担感よりも「今この時」に私たちは意識が強いため、禁煙やダイエットが大切なのは頭でわかっていても達成するのが困難なのはこのバイアスを乗り越えられないからだ。自動車や不動産を購入する際において、先に紹介した希少性の原理に加えて今すぐに支払うのではなく、支払いを後回しに出来る(=今この時は負担が少ない)という現在バイアスがタッグを組むと、これはなかなか手ごわいのである。


(6)フレーミング

全く同じ割引サービスであっても、「2つ買うと定価の半額」といった表現と、「1つ買うともう1つは無料」といった表現とでは売り上げが大きく変わることがある。「無料」という言葉には計り知れないパワーがあり、この言葉を使う戦略は特に「フリー戦略」ともいわれるが、表現を工夫したマーケティング戦略は総称してフレーミングに関する戦略だ。


先日、TVで「おふろカフェ」*がガッチリ儲かっているという番組があったが、経営者によると全く同じサービス内容であっても屋号が「カフェおふろ」ではダメなのだそうだ。「おふろカフェ」とすることで、カフェ需要が想起される。名称はマーケティング戦略において極めて重要なのである。


(7)サンクコスト効果

同じ「フリー戦略」であっても、最初は無料で遊べるゲームにおいて、ある時期以降は有料というサービスの背景にある戦略はサンクコスト(埋没費用)効果を狙ったものが多い。ゲームの無料期間中に主人公が能力を蓄えてくると以降は有料だと言われても利用を停止することは難しくなる。


音速旅客機コンコルドのプロジェクトはサンクコストの代表選手だ。既に採算がとれないことが判明したにも関わらず、莫大な初期投資費用が勿体ないため、さらなる負債を加える

ことになったこのプロジェクトはサンクコストの別称として、「コンコルドの誤謬(ごびゅう)」と言ったり「コンコルド効果」と言ったりもする。


また、「創刊号290円」のように、最初のパーツを安価で販売する戦略(全てのパーツを揃えると数万円になる)もサンクコスト戦略を応用したものだ。高価なガウンをプレゼントされたフランスの思想家ディドロが、それに見合うように書斎のインテリア一式を高価なもので揃えたという逸話があり、特に「すべて揃えないと気持ち悪い」を狙った戦略はディドロ効果という呼称でも知られる。


(8)口コミ効果

旧来型のマーケット戦略と異なり、ネット上のつぶやきやウワサで購入意欲をそそる戦略はウィンザー効果(口コミ効果)と言われる。TVコマーシャルのような従来型の王道よりも、“知り合いから聞いた話”には信頼性が高く、レストランや宿泊施設を口コミに基づく星の数で評価するサイトは人気である。


こうした星の評価を“悪用”して、星の数が増えるように「いいね」を何度も押すといったような戦略をしているとすれば、これはウィンザー効果を狙ったマーケット戦略ということになる。どうやら、この作業に特化したソーシャルワーカーもいるようだ。


ただ、こうした成りすましによる戦略は詐欺行為に抵触しそうだ。最近では「ステマ」、つまりそれとはわからないようにマーケティングを行う「ステルス(隠密)マーケティング」という言葉も登場している。違法と認定されなくても、その行為がバレてしまって逆効果という“罰”を受けることもあるだろう。これは自業自得ともいえる。


詐欺にあわない方法

Web上の星評価が信用できないように、行列をなしているレストランが必ずしも美味しいというわけでもないだろう。行列の中にお店が仕掛けた「サクラ」がいるかもしれない。


そうでなくても、仮に10代、20代の人たちだけしかいない行列をみたら、若者向けのマーケティング戦略が奏功しているだけで、少なくとも特に美味しい店ということではないかもしれない。そういえばラーメン店の店主の写真が腕組みをするようになったのも変だ。ステマといえるかどうかはともかく、マーケターが何か仕掛けているに違いない。

オレオレ詐欺のニュースを聞くと私たちは「どうして未だに騙される人がいるのだろう」と不思議に思ってしまう。しかしながらどうだろう。星の数を頼ったり、ポイントサービスで店を選んだりしている私たちが本当に自分の意思で店を選んだり商品を購入していると言えるだろうか。少なくとも私に関していえば、騙され続ける人生を歩んでいる。


*おふろCafe


第29回おわり。第30回につづく


bottom of page