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第22回:幸せの測量(2)

2022年6月29日

2020年10月20日から、3週間に1回、大手製薬企業勤務で“えきがくしゃ”の青木コトナリ氏による連載コラム「疫学と算盤(ソロバン)」がスタートしました。

日経BP総合研究所メディカル・ヘルスラボWEBサイトに連載し好評を博した連載コラム「医療DATAコト始め」の続編です。「疫学と算盤」、言い換えれば、「疫学」と「経済」または「医療経済」との間にどのような相関があるのか、「疫学」は「経済」や「暮らし」にどのような影響を与えうるのか。疫学は果たして役に立っているのか。“えきがくしゃ”青木コトナリ氏のユニークな視点から展開される新コラムです。

                     (21世紀メディカル研究所・主席研究員 阪田英也



“えきがくしゃ” 青木コトナリ 連載コラム

「疫学と算盤(ソロバン)」 第22回:幸せの測量(2)

不満足なソクラテス

「満足な豚より不満足な人間であれ。」小学校の時に先生に言われたこの言葉は今でも消化不良である。本当にそうなのか。なぜ、そのようなことが普遍的に言えるのだろうか。


私たちは幸せを追い求めて生きているのであるからして、満足度が劣るよりは満足度が高い生き方の方が良いに決まっている。「不満足な人間」の方に肩入れしたくなるのは、道徳教育によってすり込まれただけではないのだろうか。


この言葉の出所は哲学者ミルによるもので、実際には「満足な豚であるより不満足な人間である方がよい。同様に、満足な愚か者より不満足なソクラテスがよい。」と言ったとされる。故に「満足な豚より不満足なソクラテスであれ。」という言葉として記憶されている人も多いだろう。


先回触れた哲学者ベンサムは幸せを量的なものとしてとらえたが、ミルはそこに質的なものを加味する必要があるとした。彼がソクラテスを例え話として挙げたのは、恐らくソクラテスが唱えた「一番大切なことはただ生きるのではなく、善く生きることである」(プラトン著「クリトン」より)という価値観とリンクしているからだろう。


幸せを量的にとらえたベンサムの考えでは「不満足な人間よりも満足な豚であれ」となりそうだ。しかしながら、現代に生きる私たちの価値観からすればこちらは劣勢で、ソクラテスとミルの強力なタッグには勝てそうもない。とはいうものの、ここに「何故そう言えるのか」という根拠は無さそうであり、「人間を勝たせたい」という根拠のない非科学がそう言わせているだけではないかという疑念が残る。


ところで、ミルの言った言葉は「満足度」である。一方でベンサムは「快楽」という概念で幸福を整理しており、実は違う概念を論じている可能性がある。「満足度」も「快楽」も、前回紹介した「ウェルビーイング」「ハッピー」「フロー状態」とはまたちょっと違っている。こんな塩梅で、定義が曖昧な「幸福」なるものを測量しようなどという試みは、やはり無茶ではないだろうかと思えるのである。


世界幸福度調査(World Happiness Report)

とは言うものの、幸福を測量しようという機運は高まるばかりである。そこには、私たちが追い求めてきた経済成長、例えばGDP(国内総生産)を増やしましょう、といった課題設定がそもそもおかしくないか、ということに多くの人が気づいてしまったという背景事情もありそうだ。GDPを増やすことが正義だと信じていた私たちは、その帰結として格差社会問題や地球温暖化問題に直面している。


そんな中にあって、世界一幸せな国を自称するブータンがGDPの増加を目指してはおらず、GNH(Gross National Happiness、国民総幸福量)を国の成長指標としているという話は印象深い。ブータンではGDPを向上させる森林伐採策が、GNHを下げるということで否決されたという話を聞くが、もはや先進諸国もこうした判断について否定的にとらえるのは難しいのではないだろうか。


もちろん、資産が増えることは大抵の人にとって嬉しいことではあるが、その訳は「幸せになりたいから」なのであって、不幸せな大金持ちになど、誰もなりたくはあるまい。つまり、GDPは幸福の“プロセス指標”でしかなく、GNHのような幸福量こそがプライマリーエンドポイント、真なる“成果指標”と言えるのだろう。問題はその算出の困難さだ。


さて、“幸せの測量”として世界的に有名なのは国連のワールド・ハピネス・レポート(世界幸福度調査)*だろう。ここでの国別ランキングは日本のランキングの低さとともにしばしば報道される。因みに今年のランクは調査対象146カ国中54位である。


詳しく知りたい方は公式サイトをご覧頂けたらと思うが、ランキングに用いている数値は大変シンプルなものであり、各国から1000人ずつに「今あなたは幸せですか」と、最低値0から最高値10までの中から数字を答えてもらったものを平均しただけのものである。経年的変化とサンプル数の確保の視点から直近の3年間を使うとされており、つまり今年2022年の集計は2019年~2021年の値でランキングされている。


この調査は世界的調査会社として有名なギャラップ社による世界世論調査に基づいており、10段階のスケールは開発者カントリル氏の名前を借りてカントリルラダー(カントリルのはしご)として有名である。つまりハシゴの一番下が0、一番上が10というわけだ。


読者諸氏はひょっとして「え、そんな調べ方でいいの?」と、あまりに主観的なアンケート方法に驚かれたかもしれない。国連がこのアプローチを採用しているというのは要するに“これよりマシな主観的幸福を調べる術がない”ということでもある。


もちろん、それだけで調査終了とはしておらず、様々な視点からこの“測量”の科学性向上へチャレンジしている。例えば、この調査による年度別の変化については、以下の6項目によってその4分の3が説明可能であるということを調べあげている。調査にあたったギャラップ社自体は幸せの測量について既に1950年頃からの経験値があり、こうした分析については科学的にみても極めて高い説得力があるといえるだろう。


1)1人当たりのGDP

2)社会的支援

3)健康寿命

4)自由

5)寛容

6)汚職


GDPは目標とする指標として弱点があるとはいえ、過去の様々な研究から幸せに資するパラメータはやはり経済と健康が2トップということが知られており、これに4項目を加えることである程度、ランキングの裏側にある背景事情の可視化ができるというわけだ。


中でも日本が数字的に低いのが5)寛容であって、これは「過去1ヶ月に慈善団体に寄付をしましたか?」という質問に対するYesの数で調べられている。注意したいのは、では日本人全員に慈善団体に強制的に寄付をさせれば世界幸福度調査における日本のランクが上がるものではないということだ。ランキングはあくまで主観的幸福のカントリルラダーで測定されていることを誤解してはいけない。


また、主観的幸福には以下の3つの要素で構成されていることが知られている。

1)自分の生活の認知的評価

2)肯定的感情(喜び、誇り)

3)否定的感情(苦痛、怒り、不安)


このうち、カントリルラダーで調べられるところの、ランキングに関わるのは1)だけであって、2)や3)はランキングには影響しない。それは何故なのか。実は感情を正しく測定したくても、私たち人類は実際の経験をかなり加工して-つまり、リアルタイムに感じていた幸福感や不幸とは異なる形として-記憶してしまう性質があることが知られている。


故に例えば3)否定的感情について「前日に経験した心配、悲しみ、怒り」といったように、「前の日だけ」に限定して問うといった妥協を余儀なくされており、1)との“合流”もまた適切ではない、という判断なのだろう。


Your Better Life Index(BLI、より良い暮らし指標)*

OECD(経済協力開発機構)が公開しているBLI(より良い暮らし指標)についても紹介しよう。OECDがそもそも経済に関わる組織である故に、こちらは「GDPという指標の不十分さ」を踏まえる姿勢がより鮮明である。イースタリン・パラドックスという言葉は経済学を学んだ人ならば誰もが知るところだと思うが、要するに経済的な豊かさが必ずしも人生の豊かさや幸福には直結しない。これは肌感覚として私たちもよくわかっていることではある。


世界幸福度調査と明らかにスタンスが異なるのは、主観的幸福なるパラメータを主役にするのではなく、よい暮らし、よい人生における11の主要項目の1つでしかない、と位置づけている点にある。加えて、この11項目を合計してランク付けに使おうなどというのはナンセンスである、そのような使い方はするべきでない、としているところであろうか。このスタンスは“幸せを測量しようというのは無理ゲー”という、本コラムのスタンスと近い。


因みに、BLIで実際に用いられている項目は下記の11項目である。

1) 住居

2) 所得と富

3) 雇用・仕事の質

4) 環境の質

5) 仕事と生活のバランス

6) 社会とのつながり

7) 知識と技能

8) 健康状態

9) 市民参画

10) 安全

11) 主観的幸福


Guidelines on Measuring Subjective Well-being(幸福測定のガイドライン)*

OECD(経済協力開発機構)はまた2013年に主観的幸福を測定するためのガイドラインを発行しており、こちらについても紹介しよう。ここでは主観的幸福を以下の3つに分解している。

1) 人生評価(Life evaluation)

ある人の人生またはその特定の側面に関する内省的な評価

2) 感情(Affect)

人の気持ちや感情的な状態

3) エウダイモニア(Eudemonia、精神的繁栄)

人生の意味と目的、または良好な心理的機能


ここでいう「1)人生評価」は世界幸福度調査においてランキングに使っている「自分の生活の認知的評価」に、「2)感情」は肯定的感情・否定的感情とリンクしているといえるだろう。


一方、「3)エウダイモニア」はアリストテレスが唱えた高次な利他的次元であり、古代ギリシャ語「善」と「人間の運命」の合成語である。本コラム-あるいは私たちの日常-では「ハッピー」も「ウェルビーイング」も「幸福」としているが、エウダイモニアの視点からは「ウェルビーイング」は「ウェル(Well)」+「ビーイング(being)」を「善く生きる」「善く在る」と翻訳した方がしっくりとくるだろう。冒頭、「満足な豚」vs「不満足な人間」、あるいは「満足な愚か者」vs「不満足なソクラテス」のバトルを取り上げたが、「善く在る」のはどちらか、となればそれぞれクリアカットに後者に軍配があがる。


“孤高の天才プレイヤー”といった印象のスポーツ選手は様々なジャンルに存在するが(野球でいえばイチロー選手?)、チャンピオンになったからといってあまり嬉しそうではなく、まだまだその成績に不満を感じ、その先を見据える姿勢はまさに“エウダイモニア的”ともいえよう。一方で、チャンピオンどころかヒットを1本打てた程度で笑顔満面の選手と比較して、本当に孤高の天才プレイヤーの方が幸せそうに見えるかどうかはまた別である。


幸せの測量のこれから

アリストテレスの言葉に「幸福は人生の意味および目標、人間存在の究極の目的であり狙いである。」というものがある。「幸せの測量」をテーマとして取り上げると、これまでみてきたように紀元前のソクラテスやプラトン、アリストテレスまでが登場する数千年の歴史を超えた壮大なテーマでもある。


一方で、世界幸福度調査ですらその歴史は浅く今年が10周年というのだから、いかにごく最近になってあらためて世界が「幸せの大切さに目覚めた」ことがわかるだろう。さて、「幸せの測量」はこれからどこへ向かっていくのだろうか。


本コラムではしばしば無理ゲーである旨を主張してきたが、それでもこの難題に対して多くの研究者がチャレンジしてきてくれたことは尊重したいし、それによって得られた科学的知見も多い。たとえば、「自身が幸せだ、と自覚している人は周囲からもそのように見えがち」「お金のある人は無い人より幸せになりがち」「失業や離婚、戦争や混乱は不幸せになりがち」といった、“平均的な”-医療や臨床研究における平均治療効果的な-、確固たるエビデンスはいくつも検証されている。


さらには進歩の激しい脳科学分野とのコラボによってfMRI(機能的磁気共鳴画像撮影)やEEG(脳波検査)により幸せや不幸せを感じた時に脳がどのように反応しているのかを可視化することにも成功しつつある。ドーパミンやセロトニンの分泌量からのアプローチも盛んだ。心理学者、社会学者、脳科学者らの異なる知性が結集することで、竜の首かざりである5色の玉をとってくることが出来る日がくるかもしれないのである。


私自身の“幸せの測量”

ところで、私はカントリルラダー、つまり0点~10点で点数を付けるとしたら、やはり日本人平均の6くらいだろうなと思う。然るに、フィンランドの国民全体平均7.8や、デンマークの7.6などはちょっと想像しがたいものである。やはり日本人は平均的にみてあまり幸せな国民ではないことを認めた方がいいかもしれない。

さて、ものの例えとして「満足な豚」を語った哲学者ミルはまた「人はただ金持ちになりたいのではない。他人より金持ちになりたいのだ。」という言葉を残している。他者との比較優位性によって(いわば自分よりも不幸せにみえる人の存在によって)しか私たちが幸せを感じられないのだとしたら、なんて悲しい生き物だろうとも思えてくる。日本の幸福度が低い理由の説明に相対比較仮説がしばしば論じられている。


また、ウクライナで起きている悲劇や、いじめによって自殺する子供の報道を、全くもって他人事と割り切って自身の幸福感に一切の減点を生じさせないというのもこれまた難しい。先日、近しい友人を癌で亡くしたが、まだ受け止めることが出来ない。


幸福を感じることには遺伝性があることも知られているが、もしかしたらその才能の副作用として、相手の身になってモノをみる想像力や共感力の欠如がセットでついてくるかもしれない。もしそうだとしたら、あんまりその才能を欲しいとも思えないし、6点くらいが私には丁度いいようにも思える。こうした価値観は私の周囲、あるいは日本人全体的に共通しているように思え、然るにカントリルラダーで幸福度をランキングし続けるとすれば、およそ大きなランクアップは期待できそうにないし、他者の気持ちを慮ることを放棄してまでランクアップを目指すべきでもないように思えるのである


第22回おわり。第23回につづく


【参考】

*World Happiness Report、2022/6/24取得

*OECD Better Life Index基礎データ、2022/6/24取得


*OECD Guidelines on Measuring Subjective Well-being、2022/6/24取得

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