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第13回:夢の伴走

2025年1月20日

2020年10月20日から連載開始した「疫学と算盤(そろばん)」は、昨年末、通算第36回を数え無事終了しました。36回分のコラムはご承知かと思いますが、当WEBサイトにてダウンロードできる電子書籍となっています。2024年1月からは、コラム続編の「続・疫学と算盤(ソロバン)」がスタートします。筆者・青木コトナリ氏のコラムとしては、日経BP総合研究所メディカル・ヘルスラボのWEBサイト連載の「医療DATA事始め」から数えて3代目となる新シリーズの開始です。装いを変え、しかし信条と信念はそのままに、“えきがくしゃ”青木コトナリ氏の新境地をお楽しみください。 

                     (21世紀メディカル研究所・主席研究員 阪田英也


“えきがくしゃ” 青木コトナリ氏の 

「続・疫学と算盤(ソロバン)」(新シリーズ) 第13回:夢の伴走


正月ボケ

年末年始を実家の新潟で過ごすと、ビジネスパーソンとして働いている日常が完全にリフレッシュされる。リフレッシュされるのは良いのだが、いざ仕事始めとなると心と身体がどうも追いつけなかったりもする。要するに正月ボケである。そんな状態の私にとって、今朝ほど見たTBS系のテレビ番組「がっちりマンデー」は正月ボケを緩和させるにちょうどよい刺激を与えてくれた。


番組の中身を一部紹介しよう。「すごい社長さん」たちがスタジオに勢ぞろいするのは恒例であり、そのすごい社長さんから見てすごいビジネスをしている会社がいくつか紹介される。例えば、電車での忘れ物はなかなか戻ってこないものだが、無くした人がその忘れ物をした商品や類似品をスマホで撮影し鉄道会社と共有するといったサービスの提供会社。鉄道会社にとって担当者の情報入力労務が半減しただけでなく、忘れ物が本人に戻る可能性を3倍に向上させたという。


他方、大きなキャリーバックを預けたくても駅のコインロッカーが埋まっていて、持ち歩くより仕方ない“コインロッカー難民”へのサービス。カラオケ店など様々なお店がその荷物預かりを代行するというビジネスを立ち上げた会社もまた目の付け所がすごい。こちらもまた、荷物を撮影しておくことでトラブルを未然に防ぐといったところにスマホが活躍する。起業した人が決まってスマホ世代というのがよくわかる。

彼ら優れた起業家と比較できるようなことの何もない私も、勤務している製薬企業の中にあっては副業として個人事業を立ち上げたということに関して珍しいらしく、インタビューを受けることがある。起業ということに興味のある人は少なくないようだ。


今年の初夢が何だったかはもう忘れてしまったのだが、夢のある人と同じ時間を過ごすことは楽しいものである。私がコンサルテーションをさせて頂いている先は、主にヘルスケア関連のベンチャー企業や新規事業にチャレンジしている人たちだ。彼らは事業が軌道に乗ることを夢見ており、そこに伴走させて頂くことは刺激的である。今回はそんな彼らアントレプレナー(起業家)について取り上げてみたい。


起業家的行動能力

アントレプレナーシップは日本語で「起業家精神」と訳されるのだが、アントレプレナーシップ開発センター*は「起業家的行動能力」と翻訳した方がよい、としている。確かに頭の中でだけ“起業しなければ”とか、“黒字化を維持するには”などと考えていても行動が伴わなければ仕方がない。「行動すること」もアントレプレナーシップにとって重要な要素である。私の勤務先にて先日、社内起業家勉強会なる企画が立ち上がり、そこでゲストとして呼ばれたのでそのようなお話をさせて頂いたところである。


ところが、その勉強会に参加した面々は、むしろ行動を起こす前の綿密な計画の策定と黒字化を達成するためのハウツーについて興味関心がある様子であった。彼らが勉強会と称して練習していたのは架空のビジネスを題材とした事業化計画の策定であり、この中身をチェックして欲しいという。これではまるで私の副業であるコンサルテーション業そのものであり、少なくとも「起業した経験者に話を聞く」という、ゲストとして呼ばれた趣旨とは何だか違う気がしてくる。


確かに黒字化を達成し維持することは大切なことではあるのだが、少なくとも企業に勤務しつつの副業を立ち上げるならば綿密な計画など不要だろう。個人事業が仮に赤字経営であったとしても、その事業だけの“一本足打法”ではなく副業なのであれば路頭に迷うということもない。そんな思いから当の勉強会では、「考えてないでまずは起業してみてはいかがでしょうか」とお伝えしたところであるのだが、果たして実際に起業する人がここから何人でてくるだろう。


経済学者シュンペーターはアントレプレナーを「イノベーションを遂行する当事者」と定義している。また、マネジメントの父ドラッカーは「経済の領域に限定するものではない」ともしている。少なくとも「大金を稼ぐ人」とか「社長さんとして頑張る人」という定義ではない。もちろんそのような人が悪いということでもないし、アントレプレナーの中には結果的にそのようになる人もいるだろう。ただ、それは少なくともアントレプレナーシップではない。では何が本当のアントレプレナーシップなのだろうか。少し先人を概観してみよう。


渋沢栄一

先人として紹介したい一人目は渋沢栄一さんである。ご存知の通り本コラムのタイトル「疫学と算盤」は渋沢の「論語と算盤」からインスパイアされたものである。コラム開始の当初はともかく、今や一万円札の顔となった彼のことを知らない人はあるまい。彼はまさにアントレプレナーとして生きた人だ。


エリート官僚として順調に出世コースを進んでいた渋沢がその職を降りると言ったときは、恐らく周囲の誰もが驚いたに違いない。明治維新直後とはいえ士農工商という価値観が根深かった時代であり、商人の地位は低い。何せ当時の役人たるやエリート意識が高く、「官でなければ人でない」とすら思っていた人さえいたという。そのような時代の中での役人を自ら降りるという判断は、およそ当時の常識からすれば愚行であり、気がおかしくなったとすら思われたかもしれない。


そんな中にあって渋沢本人の目から見えていた社会の姿はどのようであったのだろうか。当時の日本は銀行や株式会社といった金融や経済の社会システムが立ち上がり始めたところであり、金融の何たるかを理解している人の数などごくわずかだったに違いない。こうした社会システムをうまく立ち上げ軌道に乗せることができるような人が民間には見当たらなかったのだろう。自分がやるより仕方ない、自身が大臣、総理大臣になるという名誉よりもそれは重要なことなのだと彼の目には映っていたようである。


渋沢が事業の立ち上げに関わった会社や組織、団体は500にも上るという。日本銀行、日本郵船、JR、東京電力に大阪ガス、帝国ホテル。本コラムのスペースでは500社も列挙できない。また人材不足、人材の育成という課題にも関連して、一橋大学や日本女子大学の設立にも関わっている。繰り返しになるが、彼は自身が行政にいたのでは日本が立ちゆかない、民間が力をつけなければ欧米に決して追いつくことのできない後進国のままだという危機感に心と身体が動かされた、その結果が500社なのである。損得勘定ではない、欲動のようなものがアントレプレナーシップの本質なのではないだろうか。

フローレンス・ナイチンゲール

もう一人紹介したいのは、前回も本コラムでとりあげたフローレンス・ナイチンゲールである。彼女はクリミア戦争における看護師としての活躍が有名で、クリミアの天使と呼称されるが、それだけでは彼女が成し遂げたことのほとんどが理解されない。実際に看護職として勤務していた期間は長くみても3年程度であるが、勤務期間の短さを言っているのではない。彼女に見えていたものは「衛生環境や看護のスキルが劣悪で、救えるはずの命が救えていない」という当時の医療を俯瞰的にみた問題意識である。大病を患った後年にあってもその課題に向き合い、解決へ向けて生涯を尽くすことになる。彼女の本質は看護師というよりもむしろアントレプレナーだ。


もちろん、看護師としてのナイチンゲールが成し遂げたことを軽視するつもりはない。当時の看護師なる職業は「誰もやりたがらない」ものであって、大抵の場合は教育を受けていない女性がこれにあたっていたという。彼女の行った“真なる”看護活動は現代にあっても看護師の規範である。「看護師とは何たるか」を定義したといってよい。これほどまでの看護師は彼女以外に後にも先にも存在しない。


一方で、データを分析しその結果を折衝材料として衛生環境の不備を行政に訴え、実際にトイレタリーの大幅改善を成し得ている。現代でいえばこうしたアプローチは公衆衛生学、疫学、統計学、データサイエンスと様々な呼称が考えられるが、その当時は相応しい概念すらなかったことだろう。何より「数字を使った客観データで政策を決定する」ことの重要性を示したものでもあり、こちらの方の貢献は看護師のテリトリーを超えている。


また一方で看護師の絶対数が少ないと見るや、私財を投げうって看護師学校を設立し、その“教科書”として「看護覚え書き」等を執筆し配布している。自身が規範となり社会システムを更新しつつ、後進を育成する―。時代背景も課題認識も全く異なるが、行動様式はどこか渋沢栄一とオーバーラップしている気もする。


惜しむらくは彼女を襲った病魔である。古い研究者の考察には、彼女がクリミアから帰国した後にメンタル不調となったといった考察もあるが、今ではそれは否定されている。ハッキリとした病名まで断定は出来ないものの、彼女をベッドから立ち上がれなくさせたその病気が恨めしい。また別の視点からみれば、病床にあって彼女が成し遂げた社会変革と比して、私たちは果たして社会に対してどれだけの成果貢献が出来ているといえるだろうか。


アントレプレナーシップの本質とは(1)

渋沢やナイチンゲールでは偉大すぎるので、我々のような庶民感覚ではどうもピンとこないところがあるかもしれない。「あの人たちは特別だから」「私たちとは違うから」と言い訳をしたい気持ちにもなる。自分のちっぽけさを認めざるを得なくなってメンタル不調になったら元も子もない。ただ、「偉人」のままでは学べなくとも、そこからいくつかのエッセンスを切りとって参考にすることは可能だろう。彼らから何を学ぶのか。


私などは損得勘定の存在がアントレプレナーを邪魔しそうなので、乱暴に「まずは事業計画書を捨てよ」と言いたくなるのだが、これはちょっと暴論がすぎるかもしれない。事業を立ち上げるには先立つものが必要不可欠ということもよくある話で、お金を貸してくれそうな第三者が「これは貸した金が返ってくるだろうな」と確信させなければならない。私のように副業が許されている会社に勤めているという“セイフティーネット”も決して当たり前のことではないのだし、書店に並ぶ成功のハウツー本には「まずは退路を絶て」といった、ちょっと恐ろしい根性論(?)も少なくない。当該事業の失敗が許されないという立場にある人にとってみれば、綿密な事業計画の策定は極めて重要ではある。


しかしながらアントレプレナーシップとは何かと考えてみると計画の綿密さが先立つものではないように思えるのだ。渋沢やナイチンゲールに共通してみられる通り「自分が何とかしなければ」という使命感のようなものが優先されるのではないだろうか。欲動。突き動かされるような使命感のようなものがないまま綿密な事業計画にそって起業した場合、いつのまにか売り上げ至上主義になってしまいそうな気がする。


もちろん、その使命感は決して渋沢やナイチンゲールのような国家規模でなくても構わない。テレビで紹介されたような、忘れ物が見つかる可能性を増やしたビジネスだって社会課題解決に貢献している。シンプルに「この技術を社会に還元せねば」とか、「このアイデアを世の中に還流させねば」でも構わない。医療やヘルスケア分野にあっては、手術ロボットや認知症を遅らせるアプリ、介護士の業務効率化を支援するAI等々、それが小さなことでも社会課題の解決や改善に向けて行うものであればそれはアントレプレナーシップだ。


アントレプレナーシップの本質とは(2)

渋沢やナイチンゲールから見えてくるアントレプレナーの本質として、実業・実務を経験しつつもそれに留まることをせず、より広く社会改革へ向けてその“イズム”を普及することに情熱を燃やしていた点も重要だろう。簡単にいえば、己の身一つで出来ることなど限られており、然るに自分の「分身」あるいは後進をどれだけ育成するのかということである。


持って生まれた才能や経験の蓄積によって当該の業務に卓越すれば周囲からも尊敬され居心地もよい。職場のエースなどとちやほやされてしまったら、それだけで満足しがちになってしまう。しかしながら、その小さなテリトリーで発生する課題を対処しているだけでは自己満足ということにもなりかねない。自身の周辺にある課題を解決しただけでは社会的に無価値とまでは言わないが、社会への貢献はかなり限定的である。


もちろん、実務に長けた人というのは現場では欠かせない存在だ。ブラックジャックよろしく、困難な手術を高い確率で成功させる“神の手”をもつ外科医がその場を離れてしまえば救えなくなってしまう命もある。しかしながらアントレプレナーシップとはそれで決して満足はしない。自身のスキルを分解し文書や動画として公開するなどして、自身のテリトリーのみならずより広く社会に対して課題解決の手助けをしなければという使命感に突き動かされるのがアントレプレナーだ。渋沢が成した会社経営や「論語と算盤」、ナイチンゲールが成した看護の規範や「看護覚え書き」はまさにそれである。


言うは易し

翻って、さて自分自身はどうなのだと問いかけてみると、こうして他人事のようにアントレプレナーシップを語っている場合だろうかとも思えてくる。製薬企業に務めながらコンサルや執筆業を営む私は、何だがどっちつかずの中途半端なのではないか。早晩に製薬企業から離れるというのも考えなければいけないように思う一方で、医薬品産業の一員であることにやりがいを失っているわけでもない。

「私には夢がある(I have a dream.)」とは黒人解放運動をリードしたキング牧師の言葉である。コンサル業としてお付き合いのあるアントレプレナーの人たちにもやはり成し遂げたい夢があり、私はそこに大いに魅かれる。彼らの夢を伴走しビジネスを軌道に乗せたい。


しかしながら一方の私は色んなことを欲張っているせいか、どうにも関われる時間が限定されてしまう。こんな人間がどうしてアントレプレナーとは何かを語れるというのだろうか。自身のことを棚に上げた語りぶりを平にお詫びして今回の結びとしたい。


「続・疫学と算盤(ソロバン)」第13回おわり。第14回につづく


【参考】

*特定非営利活動法人アントレプレナーシップ開発センター




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