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第26回:医療実体の記述

  • 19 時間前
  • 読了時間: 11分

2026年2月24日

2020年10月20日から連載開始した「疫学と算盤(そろばん)」は、昨年末、通算第36回を数え無事終了しました。36回分のコラムはご承知かと思いますが、当WEBサイトにてダウンロードできる電子書籍となっています。2024年1月からは、コラム続編の「続・疫学と算盤(ソロバン)」がスタートします。筆者・青木コトナリ氏のコラムとしては、日経BP総合研究所メディカル・ヘルスラボのWEBサイト連載の「医療DATA事始め」から数えて3代目となる新シリーズの開始です。装いを変え、しかし信条と信念はそのままに、“えきがくしゃ”青木コトナリ氏の新境地をお楽しみください。 

                 (21世紀メディカル研究所・主席研究員 阪田英也


“えきがくしゃ” 青木コトナリ氏の 

「続・疫学と算盤(ソロバン)」(新シリーズ) 第26回:医療実体の記述


通天閣来訪

先日、初めて新世界を訪れた。関西の人にとって馴染み深い大阪の下町にある繁華街である。何だか未来都市を想起させる地名なのに、むしろ昭和のノスタルジーを感じさせるこの街は、そのギャップがよしもと漫才のオチのようでもある。狭いところに射的や弓矢、スマートボールといった昭和の遊興が乱立しており、飲み屋さんも屋台風な串カツ屋さんだとかお好み焼き屋さんといった類である。宿泊した温泉施設の窓から街並みを見下ろしてみたのだが、夜遅くなっても一区画だけがやけに明るく、何だか映画「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋までの道のりを思い起こさせる。



その街並みの明かりの先に通天閣が威風堂々とそびえ立つ。言わずと知れた大阪のシンボルである。私と同世代の男性なら共感してもらえると思うのだが、ふと野球漫画「ドカベン」に登場する坂田三吉選手が思い起こされる。彼の奇想天外な打法は、通天閣の高さほどに上空高く打ち上げることで野手の動揺を誘い、ランニングホームランを狙うというものであった。もちろんこれはフィクションの世界の話であるが、「通天閣打法さながら」といった記事は今でも見かけるので、かなりの認知度があるといえよう。ひょっとしたら野球ファンにとっては、通天閣よりも彼の通天閣打法の方が有名かもしれない。


それはさておき、折角なので通天閣に上ってみようということでチケットを買い、展望台まで伺ってみた。ビリケンさんがお出迎えしてくれる内装は、どことなく東京タワーとよく似ている。2代目とされる今の建物が東京タワーと同時期に建てられたからなのだろう。そんな昭和ノスタルジーに浸りながら大阪の街を一望するというのは、あべのハルカスでは味わえない大阪らしさがあった。


今回は医療の実態、その見晴らしについて取り上げてみたい。医療が今どのようであるのか、あるいは未来の医療はどうあるべきなのかを考えるうえで、その実態の「見える化」は欠かせないテーマだろう。疫学分野においては「どのようであるか」を調べることを「記述」というのだが、これはなかなかどうして、分析や解析に負けず劣らず大切なことである。


何より、疫学の父であるジョン・スノウはロンドンのブロードストリートを一軒一軒回って、使っている水道局をマッピングすることで、コレラ蔓延の原因として水が真犯人であることの核心を得ている。いわば疫学のスタートが、実態の「記述」なのである。今時はハイカラな研究デザインや統計手法がもてはやされているが、正確な記述はシンプルなれど当時のロンドンにおけるコレラ禍がそうであったように、多くの人命を救うことさえある。


がんの5年生存率

医療の見晴らし、見える化に関してまずは先般、厚労省から発表されたがん種別の5年生存率を取り上げたい。これによると2016年以降に癌と診断された人が5年生存する割合はそれぞれ下記のとおりである(15歳以上)。


前立腺がん       92.5%

乳がん             88.4%

子宮頸がん       71.4%

大腸がん          68.0%

胃がん             64.4%

肺がん             39.6%

肝臓がん          34.4% (含:肝内胆管がん)

膵臓がん          13.5%


こうした数字の出所は、がん登録制度(がん登録等の推進に関する法律)に基づいて実施されている「がんと診断された場合に登録する仕組み」によるものである。難しい応用統計などを使ったり、治療間を比較したりはしていないのであるが、こうした事実に基づく記述がいかに有益な情報であるかについては説明するまでも無いだろう。私たちや自分の家族、友人などがそれと診断された場合、それがどれだけ切迫したものなのか概観することに大いに役立つものである。また、こうした集計を時系列的に継続し公開することによって医療技術や診断技術の進歩についても確認することが出来る。


少しばかり疫学的な視点で留意点も共有しておきたい。この数値は、ピュアに病状の深刻度と治療の技術レベルだけを表すものとは言えない。スクリーニング、つまりがんを見つける技術や検査のタイミングの長い、短いによってもそれは変動するだろう。仮に測定や治療の技術の進歩が全くなくても、私たちの健康診断に対する態度、文化慣習が変化するだけで数値は変動する。すなわち、検査を無料とする政策や検査センサーの増減などで数字が変わるのである。


感染症法における分類

先般のCovid-19によるパンデミックにおいて、その流行の当初は、罹患者において死亡を含む重症度が高く、私たちを震えあがらせたものである。感染症には分類があり、危険が大きい方が数字が小さいのであるが、パンデミック当時2類であったCovid-19は只今、5類に分類されている。2類のままでは、不要不急の外出禁止令だのマスク必着だのと大騒ぎのままであったろうが、5類への移行によって、社会はようやく平穏を取り戻したともいえる。こうした政策の意思決定についても病気の記述がその決め手となっている。


因みに2類感染症とは「感染力及び罹患した場合の重篤性からみた危険性が高い感染症」であり、例えばポリオや結核が該当する。一方、5類感染症とは「国が感染症発生動向調査を行い、その結果等に基づいて必要な情報を国民一般や医療関係者に提供・公開していくことによって、発生・まん延を防止すべき感染症」である。こちらは風疹などが該当する。


具体的には、季節性のインフルエンザにおける下記の致死率を基準としてCovid-19の分類移行が判断されている。その判断基準となった数字は以下の通りである。


【インフルエンザの致死率】

60歳未満  0.01%

60~70代 0.19%

80歳以上  1.73%


これに対してCovid-19はどうであったか。2021年7月から10月における60歳未満、60~70代、80歳以上の致死率は0.08%、1.34%、7.92%である。この時期はインフルエンザと比しても明らかに危険性が高い。高齢の親が住む実家に里帰りすることを取りやめた人は私ばかりではないだろう。著名人の死亡もショックであった。


この致死率が2022年7月から8月ではそれぞれ0.00%、0.18%、1.69%に下がったことが“記述”されたというわけである。かくしてインフルエンザを下回ったということが感染症分類を変更する意思決定に大いに貢献したことは想像に難くない。


因みに、こちら集計の出所となっているのは、協力の得られた自治体から入手した資料、厚労省に報告された死亡例、National Database(NDB)*である。逆説的にいえば、もしもこうしたファクトに基づく定量値なくして2類から5類へ移行したならば、その行政判断について多方面から批判の声が多くあがっていたに違いない。政治家だけでなく、国民がもはやファクトを強く求める時代なのである。


イスラエルにおけるmRNAワクチンの記述

Covid-19に関する記述集計ということであれば、イスラエルがNew England Jornal of Medicineに発表した研究について触れないわけにはいかないだろう。450万人以上の症例を所有するClalit Health Servicesという電子医療データを用いた研究であり、結果の概略は以下の通りである。


(研究デザイン)

  • 対象者:   59万人以上のワクチン接種者と、同数の未接種者をマッチング

  • 観察期間:2020年末~2021年初頭

  • 評価指標:感染、症候性Covid-19、入院、重症化、死亡


(有効性:ワクチン2回接種後7日以降の効果)

  • 感染予防:           92%減少

  • 症候性Covid-19: 94%減少 (陽性反応だけでなく症状のあるCovid-19)

  • 入院:                  87%減少

  • 重症化:               92%減少

  • 死亡:                  72%減少


(安全性:特に心筋炎リスク)

  • 発症は主に16歳~29歳の男性に集中

  • 発症率は10万人あたり数例レベルで接種後30日以内に発症

  • 多くは軽症~中等症で回復しており重症例はまれ


こうした分母のある定量値は、ワクチン接種に関する合理性を裏付けるものであろう。残念ながら、日本では重篤な副反応症例を報告させるばかりであり、それが仮に1例であっても、あるいは100例が集積されたとしても、発生割合や有益性の情報がなければ、ワクチン接種を推奨するのか、それとも取り下げるのかといった意思決定にはつながらないのは明らかだろう。


アジアにおける医療の記述

アジア各国の状況も確認してみたい。このところは「台湾有事」といったように、軍事上の懸念でばかり取り上げられる台湾であるが、医療データの活用に関していえば台湾のNHIRDはアジアでもっとも活用が進んでいるといってよいだろう。


NHIRDの正式名称はNational Health Insurance Research database(医療保険請求に基づく研究用データベース)である。2018年には台湾の厚労省にあたる機関がNHIRD及びその他70以上の健康関連情報の聞き取り調査などを中央で集中管理するための保健福祉センター(HWD、Health and Welfare Data)を設立したと聞く。HWDはNHIRDと他のデータベースとを連携することでその活用の幅をさらに広げている。


韓国ではHIRAという保険福祉部傘下の機関があるのだが、正式名はHealth Insurance Review and Assessment Service(健康保険審査評価院)である。診療報酬明細書(レセプト)の審査等を行っており、こちらは医療機関の質の評価にまで踏み込んで情報を公開している。


具体的には疾患別の治療成績を評価したうえで、病院それぞれに評価等級結果を与えている。恐らくであるがこうして公開されることによって上位評価された施設はその名誉の維持、下位評価施設は成績向上のための努力のインセンティブとなっていることだろう。医療版のミシュランといったところだろうか。成績は四半期ごとに更新されている。


さて、実際のところ日韓台においてこうした国家レベルの医療データを用いた研究がどのくらい発表されているだろうか気になって集計してみたのが以下の表である*。

年度

台湾

韓国

日本

2026

38

115

13

2025

299

862

87

2024

244

728

62

2023

266

604

51

2022

328

596

48

2021

385

609

35

2020

384

507

24

日本はまだこの分野においてアジアのリーダーであるとはとても言えそうにない。台湾や韓国に追いつくのはいつになることだろうか。2024年に改正された次世代医療基盤法では、NDBとその他の医療データベースとのリンケージが法的には出来るようになったものの、本格的に稼働できるようになるのはまだ少し先となるだろう。


また、いわゆるマイナ保険証、つまりこれまでの健康保険証を廃止しマイナンバーカードによって当人を認証するという仕組みへの変更について拒否反応を示す人が少なからずあり、データ同士をつなげることに対するリスクは認識しているものの、メリットの方は全く理解浸透されていない様子が伺える。物理的なこととは別に理解納得、心情的なケアも同時にすすめていかなければ、他国に対して益々後塵を拝するということになりかねない。


見えすぎ?!

通天閣の展望台に上るのはチケットの購入が必要である。「一般展望台」というのと「一般展望台+特別野外展望台」というのがあり、その違いが何だか分からなかったのであるが折角だからと後者を選んでしまったのが失敗であった。この特別野外展望台というのは展望台から少し飛び出したところにまで行くことが出来るというサービスであり、そこは基本的に周囲だけでなく足元までスケルトン、丸見えなのである。特別野外展望台のチケットがあればここで写真を撮ることが出来るというのだが、願い下げである。生来の高所恐怖症である私にとってこれは悪夢でしかない。


さて、医療データの活用については、私自身10年以上その促進に関わる活動を続けており、その意味で私は医療の見える化の先鋒の一人と言えるのかもしれない。しかしながら一方で、医療が透明化され見える化が進むことは、本当に望ましい世界なのかどうかは慎重に考えるべきところもあるだろう。


例えば韓国のように、医療機関の治療成績が赤裸々に公開されることは、従事する医療者の立場に立ってみると少しばかり気の毒にも思える。透明化しすぎることで、足がすくむ思いがするという医療者がいても不思議なことではない。通天閣のエレベータもまた、外が見える“スケルトン”なのであるが、これくらいならば高所恐怖症の私も許容範囲である。医療データの活用もこれくらいの塩梅が丁度いいのかもしれない。


【参考】

*正式名称:匿名医療保険等関連情報データベース。主に日本全国のレセプト(診療報酬明細書)情報や特定健診等情報を匿名化し蓄積したもの


厚生労働省「2018年全国がん登録5年生存率報告」の結果


第111回新型コロナウィルス感染症対策アドバイザリーボード事務局提出資料


厚生労働省 類型から探す(感染症法)


病院評価(韓国HIRA)


*PubMedにおいて用いた韓国、台湾、日本の検索ワード

Search query: (("Health Insurance Review and Assessment Service"[tiab] OR HIRA[tiab] OR "National Health Insurance Service"[tiab] OR NHIS[tiab]) AND (claims data OR administrative data OR big data OR health data))


Search query: (("National Health Insurance Research Database"[tiab] OR NHIRD[tiab]) AND (claims data OR administrative data OR big data OR health data))


Search query: (("National Database of Health Insurance Claims"[tiab] OR NDB[tiab] OR "National Database of Health Insurance Claims and Specific Health Checkups"[tiab]) AND (claims data OR administrative data OR big data OR health data))


「続・疫学と算盤(ソロバン)」第26回おわり。第27回につづく





 
 
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