第27回:医療データの虚と実と
- 17 時間前
- 読了時間: 14分
2026年3月27日

2020年10月20日から連載開始した「疫学と算盤(そろばん)」は、昨年末、通算第36回を数え無事終了しました。36回分のコラムはご承知かと思いますが、当WEBサイトにてダウンロードできる電子書籍となっています。2024年1月からは、コラム続編の「続・疫学と算盤(ソロバン)」がスタートします。筆者・青木コトナリ氏のコラムとしては、日経BP総合研究所メディカル・ヘルスラボのWEBサイト連載の「医療DATA事始め」から数えて3代目となる新シリーズの開始です。装いを変え、しかし信条と信念はそのままに、“えきがくしゃ”青木コトナリ氏の新境地をお楽しみください。
(21世紀メディカル研究所・主席研究員 阪田英也)
“えきがくしゃ” 青木コトナリ氏の
「続・疫学と算盤(ソロバン)」(新シリーズ) 第27回:医療データの虚と実と
子ども名探偵
いわゆる会社勤めでは無くなったこともあり、興味のあるイベントが平日開催であっても都合をつけて参加できるようになった。硬い(?)ところではスタートアップ企業が資金集めのために登壇するピッチ大会や、証券会社が開催する資産運用セミナー、柔らかい(?)ところでは平成ライダーの草分けである仮面ライダークウガ展等々。それぞれにはそれぞれらしい参加者が集うのでそれを観察するのも楽しい。ピッチ大会はスーツ姿の御仁、資産運用セミナーには第一線を退かれたであろう年配の方々、クウガ展はそれがテレビ放送されていた時代に夢中になっていたのであろう、20代後半から30代の男性といった人たちで盛況だ。

先日はアニメ放送30周年を迎えたという、名探偵コナン展にお邪魔したところである。アニメコンテンツの企画展に私のようなおじさんがいると場違いかと思いきや、そうでもない。案外と私よりも年配の方も多いし、休日での参加だったのだが小学生を連れた親子よりも若い女性客の方が多く、参加者は老若男女、かなり多彩である。なるほどこれだからこそ映画化されると興行収入100億円を突破するという人気コンテンツなのだろう。
私も以前、コナン人気にあやかって「迷探偵コ(ト)ナリ」とタイトルした講演をさせて頂いたことがある。さすがに名探偵と名乗るのは気が引けたので「迷う探偵」としたうえで医療データ、リアルワールドデータ(RWD)からリアルワールドエビデンス(RWE)を見抜くことのコツをお話させて頂いた。
さて、前回は医療を記述することの大切さに触れたところであるのだが、純粋に記述するだけでは真実というよりは、むしろ誤解や勘違いを助長してしまうこともあるのがRWDでもある。名探偵コナンのお話の中では、刑事や「迷探偵」毛利小五郎がたびたび無実の人を犯人だと推理してしまう。これが現実の話であればいかに恐ろしい話か。そんなことの無いよう、今回はRWDを用いた分析で、「迷探偵」が陥りがちなトンチンカンな考察例を列挙してみたい。読者諸氏がこういう間違いをしないように、というのが狙いである。
(1)優れた薬が普通の薬よりも効かない
RWDをシンプルに記述集計をした場合、よく効く薬の方がむしろ効き目が悪いかのような集計結果となることは珍しいことではない。話を分かりやすくするために、従来薬の2倍量の有効成分を含む新薬が登場したという仮定で考えてみよう。残念ながら医薬品には副作用という望ましくない“毒性”があることはご存知の通りであり、有効成分を倍の量にすると、従来では効かなかった人の病気にも貢献する可能性が高くなる一方で、従来では起きなかった副作用が発生する可能性も高くなってしまう。
そうなってくると、医師にしてみれば実際にそれを処方しようと選別する患者の判断は自ずと慎重になる。簡単にいえば、皮膚炎の副作用リスクが増えるならば皮膚の弱い人への処方は避け、胃腸炎の副作用リスクが増えるならば、胃腸機能が低下した高齢者への処方は躊躇(ちゅうちょ)するだろう。然るに、倍量の成分が積極的に処方されるという人とは「そうでもしないと治りそうにない症状の重い人」に集中することになる。
つまりは症状の軽い人には従来薬、症状の重い人には新薬が処方されがちで、これをそのまま治ったかどうかで集計したならば、症状の軽い人にばかり処方される従来薬の方がむしろ治療成績が良好、という集計結果になりがちなのである。
こうした残念な記述集計を避けるうえでは、多変量回帰分析、傾向スコア法やその応用などの統計技術が必要となるのだが、疫学や統計に必ずしも明るくない医療専門の学会などでは、単純集計した結果だけが表示される場合もある。もちろん医療の専門家がさすがにトンチンカンな解釈をしたりはしないが、「結果としてこのようになったのは、患者の容態に違いがあったせいかもしれない」という、説得力の弱い発表になりがちである。疫学専門家が関与すれば、背景をマッチングさせる等、もっと踏み込んだ分析ができるのでこれは勿体ない。
(2)無駄な手術でも治療成績は良い
まずは全く無価値の手術を想定してみよう。例えば腹部にメスを入れて一旦お腹を開き、特に何ら施術もしないでそれを塞ぐ。もちろんこういった行為は倫理的に許されるものではなく仮定の話である。このような病状を改善することが全く期待されない手術であっても、データ分析者に疫学のスキルが不足していると、あたかも無治療群と比べて「無価値の手術」の治療成績が優れている、という集計結果となる可能性がかなりある。
そのロジックはこうだ。例えば放っておけば1年以内に死亡するほどに病状が進行するという状態の人が200人いたとしよう。そのうち100人には手術をすることを決め、残りの100人には手術をしないことにする。実際にはこの手術には全く効果がないため、どちらの選択をしたとしても半年後にはそれぞれ50人がお亡くなりになり、6か月生存率はどちらを選んでも50%である。違いはない。ところが、手術をしようと決めてから実際に手術が出来るようになるには、薬剤治療とは違って少なくとも数週間ないしは数か月待つ必要が生じるのが常である。アメリカでは1年以上待つこともザラだという。
ここでは話を単純にして手術をすることを決めた人は全員、3か月後に手術が施行されるとする。この場合、6か月で50人がお亡くなりになるのだから、その半分の3か月の間にお亡くなりになる人も何人かはいる。もし25人が手術を待たずしてお亡くなりになったとしたらどうだろうか。下記はこれを表で表したものである。
表1:もし「手術をする予定の有無」という情報が得られていたとしたら、、、
手術の有無 | 選択人数 | 手術前死亡 | 手術実施 | 生存人数 | 6カ月生存率 |
手術あり | 100人 | 25人 | 75人 | 50人 | 66.7% (50/75) |
手術なし | 100人 | --- | --- | 50人 | 50.0% (50/100) |
「手術あり」群として集計対象となるのは実際に手術をした75人に限定される。治療の当事者とは違い、RWDを使って分析をしようとする立場の人は、なかなか「手術をすることを決めたけれど、手術前にお亡くなりになる等の諸般の事情があって手術をしなかった」という人を見分ける情報は大抵、得ることが出来ないからである。
つまりは何ら手術には意味が無かったとして、手術前に亡くなった人がいるがために観察対象が減り生存率は66.7%と算出される。全ての観察対象を調べることが出来る手術なし群の50%よりも16.7%、高い有効性が算出されるのである。繰り返しになるが、この手術は単にお腹を開き何もせずお腹を閉じるだけの無価値の施術である。
さらにデータは“誤解”を助長させてしまう。何故か。手術をする前に亡くなった人は単純に集計から除かれるだろうか。そうではない。手術をする予定であったという情報はRWDの分析者ではわからないのであるから、この25人の死亡は「手術なし」群にカウントされるのである。
表2:実際には「手術をする予定の有無」という情報は得られにくいので、、、
手術の有無 | 選択人数 | 手術前死亡 | 手術実施 | 生存人数 | 6カ月生存率 |
手術あり | 100人 | --- | 75人 | 50人 | 66.7% (50/75) |
手術なし | 100人 | 25人 | --- | 50人 | 40.0% (50/125) |
全く何の役にも立たない手術であっても、RWD使ってシンプルに手術群と手術なし群とにわけた集計をするとこのように26.7%もの「手術には効果があった」かのような記述になる、というロジックはご理解いただけただろうか。このように話を簡単にしても、ちょっとわかりにくいロジックだったかもしれない。現実にはこれほどのスパッとしたわかりやすい数字ではないのだし、これほどの患者人数も無かったりするだろう。そのうえで、手術をすることが、ほんのちょっぴり生存確率を上げる効果があったり、あるいはむしろ手術をするのは命を縮めてしまうことだったりというのがリアルな世界である。
その中にあって、このような「実は何ら無価値の手術であっても手術をしないよりは治療成績がよく見えてしまう」という落とし穴に気付けるかどうか。疫学ではこれをイモータルタイムバイアスと呼称しており、イモータルとは「不死の、死なない」という意味である。手術を実際にした患者さんは、手術待ちの期間において「死ななかった人に限定される」という、極めて有利な選択バイアスが内包しているのであり、疫学を理解していない人がこれに気付くにはかなりのセンスが必要となるだろう。
(3)無価値なワクチンでも感染症にはなりにくい
前述したような無価値な手術と同様に、例えばワクチンと偽って生理食塩水をワクチン接種希望者に接種するという、これまた倫理的には許されざる社会実験を想像してみよう。ところが、この生理食塩水であっても、接種しない群よりも感染症にはまずなりにくいというデータが得られる可能性が高い。
そのロジックはこうだ。積極的にワクチンを接種しようという人は一体、どういった人なのかを考えてみよう。例えばインフルエンザワクチンであれば、感染症が広がりやすいとされる小学生や中学生を中心に接種が推奨されるだろうが、大人が自主的に接種しようという動機は何だろう。例えば受験であるとか、休めない大事なプロジェクトを任されたといった事情がある場合などが想定される。こうした人は、まず日常において感染症にならないためのうがいや手洗い、マスクの着用など、出来る限りの対策を講じているに違いない。もちろん、こうした切迫した事情もないのに、自ら積極的にワクチンを接種しようという人たちは、もしかしたらそれ以上に普段の食事や運動など、要するに健康オタク的な人も多いことだろう。
つまりは、ワクチンを自主的に接種する人という“群衆”は、そもそも日常生活における健康に対する「意識高い系」である。かくして、もしワクチンと称してニセのワクチン、生理食塩水であったとしても、あたかもワクチン接種群は非接種群よりも感染率は低くなる。それはニセのワクチンがもたらしたのではなく、単に「健康意識高い系vs低い系」の違い、つまり普段のマスク、手洗い、食事療法や運動習慣の成果なのである。
実際のところは、ニセのワクチンが接種されるということはまずあり得ないことだろう。しかしながら、こうした健康志向性というバイアスに配慮した研究デザインにしていない場合、ワクチンそのものの有効性がほんの少しでしかなくても、「健康意識の高さ」というゲタが追加されてしまうことにはくれぐれも注意が必要となる。
(4)検査するだけで寿命が延びる
健康に人一倍、気を付けている人は、一般の人よりも検査をする頻度が高いと言えるだろう。検査といっても、病気の診断をする際に行うそれではなく、病状、症状のないときに行う健康診断や人間ドックといった検査は、疫学分野ではスクリーニング検査と称して、病理診断のそれとは明確に区別する。
もちろん学生や会社員の場合は、決まり事として「年に1回は健康診断をせよ」という決まりがあるので気にすることでもないだろうが、主婦や個人事業主、無職といった人が健康診断を“外圧”なく自ら希望して実施するならば、普段の食生活や運動習慣にも気を配っているとみてよい。結果としてワクチンによる予防と同様、仮に当該の健康診断が全くナンセンス、何ら健康上のスクリーニング力が無かったとしても、「健康意識高い系vs低い系」、普段の生活の際から検査するタイプの人の健康寿命、生存が長く観察されるというわけである。
(5)入院すると病状の進行が早まる
入院すると、まるで病状の進行が早まるようにデータ上では見えてしまうことがある。この現象を、疫学分野の用語を使うならば、リードタイムバイアスという落とし穴である。私もこれまで幾度となく入院したが、朝の体重計と血圧計から始まって、深夜には看護師が採血をしたり酸素濃度を測ったりと、入院中は検査の毎日となる。これは非日常なのであり、要するに病状の進行などは、外来のそれと比していち早くわかることになる。これがRWD上では、あたかも入院患者の方が病状が早く進行しているようにみえるというわけである。
典型的なのは癌の増悪だろう。スクリーニングの頻度として、年に1回しか検査しない外来患者と比して、入院患者では癌が増悪したことを発見できる日は早まる。これは本来、良いことなのであって、入院という治療選択が癌の進行を早くさせているわけではない。
比較したい複数の治療の一方が、主には入院患者に処方されがちで、もう一方は外来患者にしか処方されないということは珍しいことではないだろう。錠剤やカプセル剤であれば入院も外来もないが、例えば注射薬であったり点滴薬であったりといった場合、主には入院患者に処方されることになる。「注射剤の処方群は、癌の増悪までの期間が短い」なんていう論文を読んだ際に、不思議なこともあるのだな、副作用がきついのかな、などと考える前に、果たして適切な分析のアプローチをしているのかどうか疑ってみるのも重要である。
(6)入院患者に処方される薬は効きがよい
前述したリードタイムバイアスの反対側(?)に、仮に全くもって同じ有効性の医薬品同士であっても、入院患者に処方される方が、外来患者に処方されるよりも有効率が高く観察されてしまうという留意点もある。
どういうことか。入院中に処方される医薬品は看護師や薬剤師といった専門家のもとで適時適切に患者の体内へ処方される。一方で、外来処方薬の方はどうだろう。およそ私たちの家には飲み忘れた薬が残っているのであって、仮に毎食後に処方するよう指示されたとして100%そのようなことが出来るわけでもない。加えて、食後ではなく食前に飲んでしまったり、所定量を飲んだところなのに、物忘れのためさらに飲んでしまったりもする。私も正直にいえば、水またはぬるま湯で飲むべき常備薬を、氷入りの水で飲んだりお茶やジュースで飲んだりもしてしまっている。
本来ならば効き目が互角の薬を比較する際に、入院患者にばかり処方される薬と、外来患者に多く処方される薬とを物質的にフェアな比較をする際には、こうした服薬の順守率にも思いを馳せる必要がある。「注射剤は錠剤よりも効く」という論文を見つけると、当たり前すぎて読み流すかもしれないが、実は効き目が同じで違いは服薬順守率だけということもあり得るのである。
虚が実を生む
医療データ、RWDなるものはもちろん虚(フィクション)ではない。しかしながら、そこには実際とは異なる病名であったり、医療者の思い込みであったりといった真実ではない情報が多くちりばめられている。患者側にしてみても、自分のために誠心誠意、手を尽くしてくれている医療者から「少しは良くなりましたか?」と聞かれたときに、実際にはむしろ悪くなっていても、医療者への遠慮から「はい」などと答えるのがヒトというものである。これを私たちは「ウソ」とは言わないだろう。今回ご紹介した残念な事例は誰もウソをついていない。単にRWDの利用者が勝手に、悪意もなく「ウソ」を作ってしまう事例である。

さて、名探偵コナンはご存知の通りシャーロック・ホームズの原作者であるコナン・ドイルからその名を借りたものである。事件現場や容疑者の言動から真犯人を見破るというホームズ小説によって、事件現場を大切にそのままにしておく、ということが当たり前になったという。虚が実を動かしたというのだろうか、フィクションであっても人気作品は社会に大きな影響をもたらすという象徴的な話でもあろう。同様にして、RWDには様々な虚がちりばめられており決して「真実」ではないのだが、利用する側がコナン少年のように、その本質を洞察することがなければ思い違いによってあたかも真実として認識されてしまう。
世の中には意図的に自分の都合のよい分析や解釈をする“エセ”研究者やデータを捏造するという悪党までいる。こうした人たちは「有罪」なのであって、取り締まりが必要だろう。一方で今回紹介したような思い違い、勘違いによって間違ったRWD分析をする人は悪意はなくても間違った学説を唱えるのだから、社会に対して迷惑をかけていることになる。こうした人たちには、「迷探偵」毛利小五郎のように眠っていて欲しいと思ったりもする。
「続・疫学と算盤(ソロバン)」第27回おわり。第28回につづく





