第25回:病院経営の今
- 21medicaljp
- 4 日前
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2026年1月19日

2020年10月20日から連載開始した「疫学と算盤(そろばん)」は、昨年末、通算第36回を数え無事終了しました。36回分のコラムはご承知かと思いますが、当WEBサイトにてダウンロードできる電子書籍となっています。2024年1月からは、コラム続編の「続・疫学と算盤(ソロバン)」がスタートします。筆者・青木コトナリ氏のコラムとしては、日経BP総合研究所メディカル・ヘルスラボのWEBサイト連載の「医療DATA事始め」から数えて3代目となる新シリーズの開始です。装いを変え、しかし信条と信念はそのままに、“えきがくしゃ”青木コトナリ氏の新境地をお楽しみください。
(21世紀メディカル研究所・主席研究員 阪田英也)
“えきがくしゃ” 青木コトナリ氏の
「続・疫学と算盤(ソロバン)」(新シリーズ) 第25回:病院経営の今
テスラ社の判断
イーロン・マスク氏はご存知の通り今や世界一の富豪であり、アメリカの電気自動車メーカー、テスラ社のCEO、最高責任者である。そのマスク氏の報酬について昨年2025年末にびっくりするニュースが飛び込んできた。
このニュースには前フリというかヒストリーがある。彼への報酬総額560億ドル、日本円にして約8兆円というのがあまりに高額すぎるということで株主らが提訴し、「その通り」ということで報酬無効という審判が下ったのが2024年1月。その後の株主総会において彼の存在はテスラ社にとってなくてはならないということで裁判所の判定を覆してテスラの株主総会にて8兆円の報酬が再承認されたのが2024年6月。これだけでも日本ではありえないようなお話なのだが、昨年末のテスラ社によるマスク氏への報酬パッケージというのがまたアリエナイ。1兆ドル、日本円にして約153兆円規模をマスク氏に支払う用意があるというのだから、その金額規模には驚きを通り越して呆気にとられてしまった。

一方、ここ日本では昨年末の国会で承認された2026年度の国家予算が122兆円。マスク氏一人への報酬よりも日本の国家予算は低い。「残念だ」と言いたいところなのだが、日本においては122兆円が過去最大額であることで、高額すぎるだのバラマキだのといった報道であふれている。まるでその批判報道は、国家予算決定時の“恒例行事”のようでもある。片山財務大臣は、「名目GDP対比でみたら、過去30年間の中でむしろ低い方(12番目)である」と答弁したそうで、マスク氏の報酬に感化されたわけでもないのだが、122兆円というのがそんなに高額すぎるのだろうかと私にも思えてくる。どういったわけか大臣のこの答弁を扱った報道機関がほとんどなく、現有政権に対する批判論調を強調したいのか、あるいは情報の受け手となる国民がそれを求めているのか。こうした“オールドメディア”の中立性軽視・民意誘導の批判を最近はネット上でよく見かけるようになった。
話が逸れてしまったが、景気のよいマスク氏の報道とは裏腹に、日本では限られた国家予算をどのように配分するのかという議論が毎年白熱する。それは本コラムのテーマであるところの医療にも直結する算盤(そろばん)勘定ということである。そして只今は、その配分がそれなりに無いと医療現場がどうやらピンチらしいのである。このところは未来予想図を取り上げてきたが、今回は“現代”に立ち返り、目の前で起きている病院経営について経済学の視点から概観してみたい。とは言っても私は病院経営の経験もないので、あくまで部外者の戯言(ざれごと)としてお付き合い頂きたい。
赤字経営7割
厚生労働省が2025年11月26日に発表した2024年度の調査結果によると、病院の7割が赤字経営なのだという。本コラムでもこれまで何度か触れてきたことではあるのだが、経済学でいうところの「神の見えざる手」は、市場経済に任せていれば最適解になるだろうというのが経済学の父、アダム・スミスによる見立てである。その一方で、経済学のロジックだけではどうにもなるようにならないというセクターの代表選手が教育分野や医療分野であることもよく知られている。教育や医療については新自由経済だの小さな政府だの言っている場合ではなく、国や自治体からの“見える手”でも打たないことには経営破綻してしまうことがある、というわけだ。具体的な例でいえば、経済学のロジックに任せてしまうと、人があまり住んでいない地域では都会と同じように医療が受けられなかったり、先進国では処方できる医薬品が、途上国あるいは今や日本でも手に入らなかったりといった不都合が生じる。病院経営のピンチもまた然りである。
さすがにこれはマズい、緊急事態だということで、昨年末の閣議決定では制度設計であるとか、診療報酬改定だとか腰を据えた抜本解決の前に、とにかく応急処置として補助金の支給がされることになったらしい。具体的には許可病床数1床あたり19.5万円の支給とのことで、100床の病院であれば1,950万円が臨時で支給されるという計算になる*。
経済学というのは、そもそも限られた資源(ヒト、モノ、カネ)をどう効率的に使い社会全体を豊かにするかを考える学問である。その視点からすれば、応急処置である補助金の支給だけで済ますというのでは、何ら本質的な解決にはつながらないといっていいだろう。逆説的にいえばそれだけ病院の経営状況が危機的であって、経営破綻してしまっては元も子もない、医療の空白地域が生じてしまうというわけである。もちろん、応急処置とは別に抜本的な医療に対する中長期的な制度設計の改正や診療報酬のあり方が求められるというのは、シロウトの私が語るまでもない話である。
病院の分類
一方、その報道筋によれば、診療所の方は特に経営に窮しているということでもないようである。病院と診療所。本コラムの読者層においては「病院」というワードが文脈によって使い分けられていることを気にも止めない人がほとんどかもしれないのだが、少し定義について立ち止まって整理しておきたい。何せ私たちがよくいう「ちょっと具合が悪そうだね。病院に行ったら?」というときの病院はたいてい診療所のことを指しているのであり、この報道が指しているところの病院にはそれが含まれていない。
改めて「病院」と私たちが呼称する組織・団体を整理したのが下記の表である。
【表:“病院”と呼称する医療機関の分類】(数は2024年3月末現在)
大分類 | 中分類 | 小分類 | 数 |
病院 | 国立 | 国立病院機構、国立大学病院、労災病院、JCHOなど | 317 |
公立 | 県立病院、市町村立病院 | 844 | |
公的 | 日本赤十字、済生会、JA厚生連、国保連合会、国家公務員共済組合連合会など | 334 | |
その他 | 医療法人立、企業立、学校法人立、社会福祉法人立、個人立など | 6,549 | |
診療所 | 医科診療所 | 開業医 | 約80,000 |
医療法人立診療所 | 約25,000 | ||
歯科診療所 | 個人開業 | 約60,000 | |
医療法人立 | 約8,000 |
私たちが日常生活でいうところの「病院」のうち、ベッドが20床未満であればこうした分類上では病院ではなく診療所ということになる。病院ではない。「具合悪そうだね」に続くワードは「診療所に行ったら?」が本来的には正しい、というわけである。それはさておき、この分類においての病院は全国でみても8,000ほどである一方、“町医者”、診療所の方は医科診療所だけで10万もある。そして報道されている7割が赤字というのは、この表における大分類での8,000の「病院」のことであり、診療所は該当しない。病院関係者各位にあっては「病院と診療所とが別なのは常識でしょ」と思われるかもしれないが、必ずしもそうとは限らないだろう。ニュースを聞いて、案外と「私の行きつけの先生のところも経営が苦しいのかな」と、近所の診療所も「病院」に含むと誤解している人もいるだろう。
ともかく、この報道ではどうやら診療所の経営の方は大丈夫なようである。今回、ベッドの無い診療所に対しては1施設あたり32万円の支給も決定されているのだが、潤沢なところにお金をばらまくと言っていいのかもしれない。さすがに政府与党としても10万もの診療所から不平不満が出ては選挙で不利になるだろうし、経済学というよりも政治学として致し方ないことなのだろう。この32万円支給について一部「焼け石に水だ」という報道もあるのだが、正直に言えば診療所は「焼け石」になどなっていない、経営順調なところがほとんどであって、この批判はお門違いである。因みに、有床診療所については1床あたり8.5万円が支給される。
病院赤字の原因
では何故に病院、つまり20床以上のベッドのあるところばかりが赤字であって、診療所はそうでもないのか。出費負担として一番大きな課題になるのは人件費だろう。私も会社経営者のはしくれであるが、ヒトを雇うというのは大変である。当人への給与支給のみならず、社会保険料や福利厚生等々があり、ザックリと給料の3倍、お金が掛かるというのが定説である。
さらに掘り下げて、では何故にその人件費が診療所では負担にならず、病院(病床数20床以上)では負担になるかといえば、診療所と比して病院の方がより“公的機関”の性質を帯びているからとも言えるだろう。「公的」というのはつまり「経済のロジックが通用しない領域」とも言い換えられようか。ベッドが20床以上ともなれば相応に看護師を雇わなければならないし、入院患者を管理するうえで24時間体制を維持する必要もある。これは入院患者が少ないときであっても体制としては維持しなければならないのであり、一般の民間企業のように仕事が減ったからといって、スタッフを臨機応変に減らすというフレキシブルな対応が困難だということでもある。因みに、実際に病院で勤務する専門の職種について平均的な年収(概算)は以下の通りである。
薬剤師 608万円 臨床心理士 448万円
臨床検査技師 592万円 臨床工学技士 448万円
放射線技師 544万円 精神保健福祉士 432万円
救急救命士 544万円 医療ソーシャルワーカー 405万円
看護師 512万円 義肢装具士 400万円
保健士 512万円 社会福祉士 389万円
医療秘書 512万円 診療情報管理士 352万円
理学療法士 480万円 作業療法士 336万円
医療事務 256万円
*出典:「日本の給料&職業図鑑 最強DXリニューアル版」より生涯賃金概算を就業年数で除算した値を年収とした
もちろん、運営する診療科によってこういった専門職を全員、雇わなければならないということではないし、それぞれ1人ずつで構わないということでもない。それでも病院経営としてこうした人を雇用した場合にはその3倍のコストが掛かるのだから、その経営の難しさというのは想像できるのではないだろうか。
そして何より肝心の医師も雇わなければならない。ご存知の通り医師の給料は他の職種と比して高額である。
美容整形医 2,240万円 眼科医 1,440万円
産婦人科医 2,080万円 麻酔科 1,323万円
精神神経科医 1,504万円 外科医 1,296万円
内科医 1,440万円 小児科医 1,152万円
*出典:同上
以前、本コラムでも取り上げた「直美(ちょくび)」は平均給料において美容整形医が高額であることも無関係ではないハズである。一方、診療所の運営は、仮に病床がなければ医師1人、スタッフ1人でも運営可能であるし、24時間体制をする必要もない。当該記事によれば医療法人経営の院長の報酬は2,898万円(2024年度)であり、前年度から4.2%増えている。開業医の院長給与全体としても全産業平均の4.5倍だという。ご存知の通り「黒字経営」というのは組織として利益がある、ということなのであり、経営者兼院長のドクター1人に3000万円の給料を払ってもなお利益がある、それが診療所の標準的な姿と解釈されようか。
それゆえに本国会においては、杓子定規に医療現場に「バラマキ」することは反論も多く、結果として前述の通り病床数に応じた報酬と、診療所に対しては32万円の一時的な補助金ということになったと思われる。繰り返しになるが、32万円の一時金というのは経済的な合理性や応急処置といった趣旨ではなく、診療所経営者が感じる不公平感の是正というのが本当のところだと考えるのが妥当だろう。でなければ民間企業にも32万円をばらまいて頂きたいという話になりかねない。
社会的淘汰と医療
自分が住んでいる近所の病院が倒産ともなれば、地域の人たちの心は穏やかではいられないだろう。それは病院という存在が、私たちの健康に対するセイフティーネットの役割を担っているからであって、前述した通り公的な機関という存在でもあるからだ。また、ビジネス一般における赤字経営においては、まさに「企業努力が足りない」あるいは「社会がそれを求めていない」という場合もあるが、病院経営をそれと一緒にして考えるのは酷といえる。2年に1回行われる診療報酬改定は、そのたびに病院経営の方向性を変化させなければならない可能性がある。それ故に民間企業一般のように5年、10年といった中長期の経営計画を策定するのは困難なことだろう。

ただし、病院経営一般と比べて民間の営利企業一般については、このようなバラマキや応急処置といった政策は、必ずしも弱者救済、美談ではないことは強調しておきたい。そもそも、福祉国家とされる北欧では、赤字に転落した企業に対して援助するという発想は、国だけでなく国民としてもあまりしないらしい。むしろ社会がその機能、サービス、商品を望んでいないということなのであれば、それは店じまいしてしまって新たなビジネスをスタートした方が社会システムとして宜しいという発想をする。マネジメントの父といわれるピーター・ドラッガーもまた、「黒字経営が出来ないということは、社会がそれを望んでいないものと理解すべき」と諭しており、これと北欧の思考回路は合致する。
一方で、ここ日本では世界的にみても創業100年を超える老舗の会社や店舗が数多くあり、運営に窮する町工場を救ったといったお話が美談として語られたりもする。その意味では、経済学のロジックに対して日本のビジネスや価値観は少し違っているともいえるだろう。ただ、こうした情感的な「困っているのだから救わなければ」という思考の延長上に赤字経営の病院があるのかどうかは冷静に見極める必要がある。前回、取り上げたように、医療もまた時代の流れの中で変化するものであり、オンライン診療、ロボットによる手術、ドローンによる医薬品の配送といった未来図の中で、経済論理としての「見えざる手」に全面的に任せるのではなく、公的機能として何を残し、何を撤収するのか見定める必要があるだろう。
宝くじの1等賞
先日、2026年1月6日が期限とされていたところの7億円という宝くじ1等賞がギリギリの期限で換金された、という報道があった。どこの誰かはいざ知らず期限に間に合ってよかったね、ということなのだろう。そこでふと、アメリカから届いたイーロン・マスク氏の1兆ドルの報酬というニュースと比べてみると、なんだか貧困国の話題を象徴するようで物悲しくもなる。150兆円を手に入れる予定のマスク氏が仮に7億円の引換券である1等賞の宝くじを持っていたとしたならば、果たして換金所に来るだろうか。
いや待て。こちらにもプライドがある。私は宝くじを買ったことが無いのだが、もしも宝くじ1等賞を当てたとしても、「換金はしないこと」をここに宣言する ~なんてことを言ってみたいなあ。
【参考】厚労省 令和7年度補正予算案について(報告)
「続・疫学と算盤(ソロバン)」第25回おわり。第26回につづく




