2022年2月16日

2020年10月20日から、3週間に1回、大手製薬企業勤務で“えきがくしゃ”の青木コトナリ氏による連載コラム「疫学と算盤(ソロバン)」がスタートしました。
日経BP総合研究所メディカル・ヘルスラボWEBサイトに連載し好評を博した連載コラム「医療DATAコト始め」の続編です。「疫学と算盤」、言い換えれば、「疫学」と「経済」または「医療経済」との間にどのような相関があるのか、「疫学」は「経済」や「暮らし」にどのような影響を与えうるのか。疫学は果たして役に立っているのか。“えきがくしゃ”青木コトナリ氏のユニークな視点から展開される新コラムです。
(21世紀メディカル研究所・主席研究員 阪田英也)
“えきがくしゃ” 青木コトナリ 連載コラム
「疫学と算盤(ソロバン)」 第18回:医療と経済の交差点
緊急入院
少しばかり私の緊急入院についてお話させて頂くことをご容赦頂けないだろうか。先日、救急車で運ばれたのは1月20日のことである。
出かけた先での用事も済み、1駅ほどの距離を健康のためも考えて歩いて帰ろうとしたのだが、ゆるい坂道を登るのがかなり辛い。やむを得ず電車を使おうと駅のエスカレータで降りていたときに、立ち続けることがもう辛くて仕方が無かったので、降りきったところの床に寝そべったら駅員さんが「どうしました?」と声を掛けてくださり救急車を手配して頂くことにした。
実は救急車のお世話になったことはこれが初めてではない。以前、会社の帰り道に転んで左手を骨折したときにもお世話になったし、他に会社のオフィスから幾度か救急車を手配して頂いたこともある。まったく自慢するような話ではないけれど、“慣れたもの”ではある。
30代の頃に膵臓の一部に嚢胞(のうほう)性の腫瘍が見つかって切除したことがある。このため、医師らの話ではどうもその時の手術(膵頭部十二指腸切除術)の影響や、私に造影剤にアレルギーがあることなどから確定診断できる検査の実施がためらわれるということであった。ヘモグロビンの値が大きく落ちていたことなどから、恐らくは小腸からの出血があったのであろうという診断がされ、ヘモグロビン値と体調の回復傾向から10日後に退院、経過観察となった。
ケガや病気については当人がそれを望んで起こすものではないのだろうが、周囲に対しては全く申し訳ない気持ちになる。こうして救急車の手配から緊急入院となった私の治療に直接関わってくださった人、直接お話をした人は何十人にもなる。またバックオフィスで検査、薬剤処方、会計などの医事をしている人もいるだろう。迷惑をかけた人、ということになると自分の勤務先、家族・親族と、もう一回り多くなる。全く申し訳ない。
救急車の経済学
緊急入院したからということでもないのだが、今回は医療という社会システムについて経済学の視点から眺めてみようと思う。私の今回の緊急入院を経済学的な視点から「迷惑」「お世話になった」をとらえると、前述したような数百人規模では収まらないだろう。救急車という“無料の救急搬送システム”が国税で運用されていることを顧みるならば、税金を払っている1億人に「お世話になった」ということになる。
実際のところ救急車の有料化という議論はあるようだ。聞くところによると救急車を無料のタクシーくらいに考えている人もいれば、些細な症状であっても「優先して対応してくれるから」という理由で救急車を呼ぶ人もいるらしい。もちろんこれはごく少数の人の話だろうが。
とは言っても、では本気で有料化を検討しようかとなると、「救急車を呼べるお金の無い人は死ねとでもいうのか」という意見が出てくる。経済学は基本的に「経済合理的に物事を考える学問」である。よく言われる「人の命は地球より重い」論と、一体どうやって折り合っていけばいいのだろうか。今回はその矛盾するような、医療と経済とを一旦、バラして概観したうえで、その “交差点”で発生する課題を眺めてみたいと思う。
経済的合理性
丁半バクチを推奨するわけではないが、コインを投げて表が出たらベット(賭け)した金額の2倍が貰え、裏が出たらベットした金額を全て失うゲームを考えてみよう。皆さんはこのゲームに参加したいだろうか。恐らくこのゲームへの参加がバカバカしいことは誰でも気づくはずだ。