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「患者中心」から生まれる理想のがん診療をめざして



武藤 学氏率いる京都大学大学院医学研究科 腫瘍薬物治療学講座の取り組みは「がんの発生メカニズムの解明から早期診断、新規治療法の開発、QOLを向上させる支持療法の開発、がんゲノム医療の臨床実装など、がんをとりまくあらゆる角度からの研究」である。同講座紹介の挨拶で、「私たちは、理想のがん診療を目指しています」と語る武藤 学氏に、シリーズ第2回は、京大がんセンターキャンサーバイオバンク、同クリニカル・バイオ・リソースセンター(CBRC)、そしてリアルワールドデータの集積、分析、その重要性について伺った。

(聞き手:21世紀メディカル研究所 主席研究員・阪田英也 構成:同 研究員・柏木 健)

 

患者さんの生体試料を収集して研究に活かすキャンサーバイオバンク


――腫瘍薬物治療学講座では、がん患者の診断から治療経過に至る時系列の膨大な医療情報や個々人のゲノム情報を融合して、最善の医療を提供するアルゴリズム開発、革新的個別化医療を目指して2013年9月に「京都大学がんセンターキャンサーバイオバンク」を設立されました。このバイオバンク設立の意義、役割についてお聞かせください。


武藤:キャンサーバイオバンクは、2013年9月、京大病院のがんセンター内にがん患者を対象とした組織として活動をはじめました。


キャンサーバイオバンクとは、がんの患者さんから提供いただいた生体試料(組織の一部、血液や尿など)やカルテ情報を保管する仕組みです。これらの生体試料やカルテ情報を研究に活用することによって、新しい薬や、新しい検査法、さらには効果や副作用の予測といった、医療上の成果が期待されます。

近年、医学の進歩によって遺伝子やタンパク質を詳しく分析できるようになり、例えば同じ薬を使った患者さんでも薬が効きやすい人、効きにくい人、副作用が出やすい人、出にくい人など、患者さん一人一人の異なる要素を検討することが可能になりました。

それらをあらかじめ調べることができれば、より効果的で、より副作用の少ない治療を選択できるようになります。こうした医療開発を行うためには、患者さんから生体試料やカルテ情報をたくさん集め、これらを保管できる仕組みが必要であり、これを実現するのがキャンサーバイオバンクです。


図1:キャンサーバイオバンクの仕組み



――患者さんの生体試料を扱う際の留意点、さらには生体試料の活用についてはいかがですか。


武藤:まず、生体試料(検体)は品質管理が重要であり、またこれが難しいということが挙げられます。たとえば、検体を採取しても室温に放置されることもあります。こうなると検体の品質が悪いためデータが取れない。しかし、京大キャンサーバイオバンクは一元管理で高い品質で管理しています。生体試料の温度や延伸情報がログで残っているということです。


また、製薬企業など医療産業との共同研究でも検体を活用することがあり、京大キャンサーバイオバンクの検体については、「良質なサンプル」と高い評価を得ています。


さらに検体の利用率ですが、現在京大では40%を越えています。これは、患者さんが自分の病気に関わることに役立てて欲しいという献身的なご厚意に応えるものと考えています。患者さんのご厚意に応えるためにも、検体利用を促進し大学等での研究を活性化することを目指しています。


世界的に見てもバイオバンクの検体利用率は実は数%というのが実態で、検体が利用されていない理由は、品質管理がしっかりなされていないこと、もう1つは付随する診療情報が十分ではないということが挙げられます。京都大学病院では、電子カルテデータを構造化データベースにするCyberOncologyシステムを使用し、検体情報と診療情報がしっかりと結びついており、バイオバンクの運用にも貢献しています。


「貯める」から「提供する」を目標とするクリニカルバイオリソースセンター


――キャンサーバイオバンクが順調に稼働したことから、2017年11月には、がん以外の領域にも展開するとともに、“バンキング(貯める)でなく、リソース(提供する)へ”の目標のもと、クリニカルバイオリソースセンター(CBRC)を設立されました。クリニカルバイオリソースセンター(CBRC)の概要やその役割をお教えください。


武藤:私がセンター長を務めるクリニカルバイオリソースセンター(CBRC)は、高品質な生体試料(クリニカルバイオリソース)とそれにひもづく関連診療情報を収集、保管し、入出庫管理を行っています。京都大学をはじめとするアカデミアや企業等にこれらの情報を提供することにより、高度な医療の推進及び研究開発を支援して、我が国におけるメディカルイノベーションに貢献することが設立の目的です。


実際の業務内容としては、全ての診療科から生体試料の提供を受けることを目標として、現在病院の16診療科と生活習慣病・先制医療センターにおいて、クリニカルバイオリソースの提供者に対し、利用に関する説明とその同意の取得、および試料の収集、搬送保管、搬出までの作業を行っています。


また2019年11月からは、最も臨床研究や医療開発に利活用されると期待できる手術標本からの新鮮凍結標本の系統的な収集を開始しており、これらのクリニカルバイオリソースに紐づく臨床情報、検体管理・品質情報等を統合データベースとして一元管理し、容易に検索できるシステムの構築も進めています。


――まさにクリニカルバイオリソースセンター(CBRC)は、“バンキング(貯める)でなく、リソース(提供する)へ”の目標のもと、革新的な業務を遂行している組織ですね。患者さんからの生体試料の採取・収集ということに戻りますが、先生は「京大の場合、患者さんの協力度合いが非常に高い」とおっしゃっていましたが。


武藤:私が思うに、大学病院は患者さんとって特殊で、大学病院を受診する患者さんは基本的に研究への参加や医学の発展に寄与することに積極的だと思います。一方で、こうしたことを一般の方に聞くと、「採血を何度も余計にされたら嫌だ」とか、「何をされるかわからない」とかの感覚を持つようです。大学病院を受診される患者さんは、大学病院は専門性が高く高度医療を手掛けているのだから、「なんとかしてほしい」と考える方が多く、特にがんの患者さんはこの傾向にあるのだろうと思います。


そして、自分の病気も「なんとかしてほしい」と考えると同時に、「世の中の人のためになるなら、自分のデータを使って欲しい」という人が多く、現在、生体試料採取についての同意取得率が96%と高いことがそれを表していると思います。


図2:クリニカルバイオリソースセンターの概要


――キャンサーバイオバンク、クリニカルバイオリソースセンターの活動を推進するためのキーファクターは、時系列の膨大な医療情報や個々人のゲノム情報です。がん領域における“電子カルテと連動する入力支援ツール”CyberOncologyは、生体試料と診療情報を結びつける情報基盤づくりに貢献しています。CyberOncologyとの出会い、その現在、展望についてお聞かせください。


武藤:臨床研究では、患者さんのデータ集積を個々の患者さんのカルテを見ながら、別のデータベースに移しながら行うことが普通です。例えば同じ疾患のデータベースを複数の先生が別々に構築することもあります。このときそれぞれのデータベースでは、入力している項目がばらばらであったり、症例数も違ったりと研究を進めるのはどうが正しいのか問題がある場合があります。


私がずっと疑問に思っていたのは、電子カルテから患者データを構築しようとする場合、このようにデータの信頼性が担保されないという点です。データ入力の二度手間は、患者情報を電子カルテから移すことによって起こります。NDB(ナショナルデータベース)のレセプトデータは、保険病名が患者さんの実際の病名と合っていない、また検査値が入っていると分析できないなど横断的なデータ集積ができないことが問題です。


そこで、電子カルテと連動する入力支援ツールとして京大のリアルワールドデータ研究開発講座の松本先生が開発していたCyberOncologyに着目しました。AMEDの臨床ゲノム統合データベース事業に採択され、CyberOncologyによりゲノム情報と紐づく臨床情報と統合する取り組みを実行しました。


電子カルテ入力支援システムCyberOncologyによる電子カルテ革命


――ご承知のように、リアルワールドデータは、これまでの約30年間にわたり、統合的な集積と分析、その重要性が叫ばれながらも国の基本施策の欠如、ベンダーの壁、医療機関の理解が異なるなどが原因となり、有益な成果を挙げられない状況です。武藤先生は、現在の状況をどのようにご覧になられているでしょうか。


武藤:私がAMEDの事業に採択された時、このCyberOncologyを基軸に「どのベンダーでも入れられるようにして欲しい」、「横櫛でデータ集められるようにすれば、リアルワールドデータをタイムリーで集めることが出来る」と主張しました。一つ思ったのは、アメリカでは臨床情報の収集をASCO Linkがやっていて、それは多数の病院の電子カルテデータを集積するものでしたが、実は思うほど発展していませんでした。


しかし2002年11月にSARSが始まった時に、ニューヨーク(NY)前市長・ブルームバーグ氏が電子カルテを統一規格としたことが報道され、これによってパンデミックが起こる予兆を捉えることが可能になりました。つまりNYマンハッタン島だけでもどこから発症して蔓延したかを時系列で追える訳です。


またアメリカでは、社会保険番号が全国民と紐づいており、いかに広域といえども、患者さんの治療歴だけは把握できる。どの病院でどんな治療をされたか、また夜間に入院した時救急の時にどんな治療をしたかが分かります。こうした医療安全対策を医療情報で実践している。これがなぜ日本で出来ないのかと考えてしまいます。


日本でも佐渡島の場合、どの病院に行っても島民5万2000人の患者情報は共有化されています。佐渡市のドクターが勢力的に動いて、病院データや薬剤情報、介護情報を一元管理していて、医療者が閲覧することが可能です。医療情報はこうしたコントロール下にあって有用であり、私はがん領域においてCyberOncologyによる情報基盤の構築を目指しました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ※CyberOncologyとは、電子カルテ等への入力を支援するシステム。プルダウンメニュー形式で、リストから標準化された医療情報を選択して入力でき、データを構造化して蓄積する。これにより構造化されたデータベースを構築でき、医療機関におけるリアルワールドデータ(RWD)の利活用を支援する。

図3:CyberOncologyの概要


CyberOncology普及を推進する多施設共同研究(CONNECT)


――CyberOncologyを医療機関が導入することにより、「日常診療の支援」はもとより、「臨床統計データ活用」や「臨床研究、治験への支援」が可能になります。現在のがん拠点病院への導入状況、すなわち京都大学との多施設共同研究(CONNECT)についてお教えください。


武藤:CONNECT試験は「がん診療におけるリアルワールドデータ収集に関する多施設共同研究」を指します。この研究は我々京都大学病院と新医療リアルワールドデータ研究機構株式会社(PRiME-R)が協働して行う研究プロジェクトで、電子カルテデータ等のリアルワールドデータ(RWD)を標準化/構造化して管理・統合するCyberOncologyを各医療機関へ導入し、RWDを収集・解析して利活用することで、医療安全や医療技術の向上に貢献する新たな医療情報基盤の実現可能性を研究するものです。

図4:がん診療におけるリアルワールドデータ収集に関する多施設共同研究(CONNECT)のイメージ


武藤:今年11月現在では、京都大学をはじめがんゲノム医療 中核拠点病院である北海道大学病院、慶應義塾大学病院などを中心に、18医療機関がCyberOncologyを導入済みで、導入調整中あわせて25施設という状況です。全国の医療機関に一挙にCyberOncologyを入れることは不可能ですから、一施設一施設ごとに各施設での実情や運用の可能性を把握しながら、丁寧な説明と対応を心がけて着実に積み上げていくことを目指しています。


新型コロナなど新興感染対策にCyberOncologyの機能を活かす


――電子カルテの接続・統合は永遠の課題と言われており、これが達成されることで初めてプレシジョンメディシンやゲノム医療が実現されます。武藤先生が描くCyberOncologyによる医療の未来、そしてがん領域以外の診療分野への導入など、将来の夢をお聞かせいただけますか。


武藤:将来の夢といいますか、目標を一言でいうと、「CyberOncologyによる電子カルテの革命」です。日本の電子カルテは、ワープロ機能とオーダリング機能がメインで発展してきたため研究ツールとしての側面はありません。本来、電子カルテは病院の経営もそうですし、医療安全に使えるシステムであり、そうあるべきなのですが、そのためにはデータが構造化されていないといけません。その機能は現在の電子カルテにはなく、これを付加しようとするとシステム全体が重くなります。


CyberOncologyのようなアプリケーションを採用すれば、病院で集めるデータを構造化してバイオバンクのシステムと連動させる、またゲノム医療のオーダリングのシステムと連動させるなどの横展開が可能になります。また近年、需要と普及が高まっているPHR(パーソナルヘルスレコード)についても、電子カルテシステムとして連動しているのは、CyberOncologyだけです。これまでの反省の上に立った医療情報の紐づけと横展開を実現することが医療の質向上につながると考えています。


また2020年春から始まった新型コロナウイルス感染症対策にCyberOncologyのCOVID-19であるCyber COVID-19という電子カルテ入力を支援するシステムも実用化しています。


新型コロナウイルス感染症については、患者情報を中心とする臨床情報収集はその実態を明らかにする上で必須です。感染情報のやりとりを保健所がFAXで行うのはナンセンスですが、入力する入がいない、入力の手間がかかることは事実です。最近では患者情報を時系列に集めるようになってきていますが、発症時の治療前後や回復期といったポイントで新型コロナ患者の情報を横断的に収集することは実現していません。個々の医療機関における治療は確立されたエビデンスがないため、結果的にトライアンドエラーとなり、適用外でも治療を行うといったことが起きています。


きちんとした新型コロナウイルス感染症情報を過不足なく入力し、そのデータを統合・解析する、これが感染症対策を実効性のあるものにするための方策であるべきです。現在、Cyber COVID‐19は、AMEDの研究事業として支援を受けており、COVID‐19に限らず、次の新興感染症に対する臨床情報収集のプラットフォームとして活用されることを望んでいます。


第2回おわり(2回シリーズ)


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