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第4回:クスリの科学(1)クスリとは何か

2021年1月4日



“えきがくしゃ” 青木コトナリ 連載コラム

「疫学と算盤(ソロバン)」 第4回:クスリの科学(1)クスリとは何か


国内で新型コロナの第3波が明らかになってきたため、「GoTo(ゴートゥー)」をこのまま続けるのか、それとも見直すべきかという議論が沸騰している。私は未だそのGoToなるものの恩恵に預かったことはないのだが、悪い方の影響なら受けている。

「GoToイート」以降、近所のお寿司屋さんを予約することが全く出来なくなってしまったのである。高級寿司店ならばともかく、私のような庶民が行くような回転寿司チェーンともなると平生であっても予約は混み合っていたのに、「GoToイート」利用可の状況では来店をあきらめるしかないようだ。


ということでやむを得ず(?)先日は「回転しない」寿司屋さんにお邪魔したのだが、そこでふと思ったのがサーモンについてである。年配の方や私と同世代の人ならばご存じのことだと思うが、子供の頃は現在のように冷凍技術が優れていなかったことからサーモンを生食で食べるという習慣はなく(サルモネラ菌のリスクがあった)、然るに正当な江戸前の寿司屋ならばサーモンはメニューに無いのかもしれないな、なんてことを思いながら「回転はしていないが高級ではない(お店の方、ごめんなさい)」寿司屋でサーモンを食していた。


ところで、そもそも生食の鮭のことは「サーモン」というのに、どうして焼き魚となると何故「サーモン」と言わないのだろう。そういえば「まぐろ」と「ツナ」も似たような関係があって、寿司屋でまぐろのことを日本人は決してツナとは言わないし、ツナサラダのことを「まぐろサラダ」なんて言おうものなら、恐らく別のメニューのことになるのだろう。 クスリの時間旅行 さて、前回がワクチンのお話であったこともあり、その流れで製薬企業に勤務する私の生業、お世話になっているクスリについて取り上げることにした。そこでふと気になったのが、私がなまじ製薬企業に身を置いているからして、仮に本コラムをお読み頂いている人が製薬企業とは縁遠い人であったときに思わぬ行き違いが生じないだろうかという心配である。 人は大抵、仕事でも趣味でもディープにその世界に身を置いているときに、そうでない人との間にある溝、乖離には気がつきにくいものである。中でもちょっとした略号や言い回しなどは結果的にその世界の”参入障壁”になりがちで、それを避けるためにもクスリのお話の「疫学と算盤」に入る前にまずは「クスリってそもそも何?」というところからスタートしてみたい。 とはいっても、ありがちな定義化を目指すのは野暮(やぼ)ったく退屈するようにも思える。言語学の分野ではプロトタイプ理論というものが知られており、ヒトの認知とはせいぜいその代表的事例(プロトタイプ)とその類似型で成されるものであって、明確な線引き、定義化とは違うというものである。 確かに「野菜と果物の違いとは何か」「犬とオオカミの違いは何か」などをクリアに説明できる能力はさして必要性もない。ここでも定義化を目指すのではなく、ちょっと問いかけ方を変えてSF漫画のように「タイムマシンに乗って、クスリの無かった時代に行こう」とでもしてみようか。もちろん、クスリの定義が曖昧なのでどの時代に降り立つことになるかは正解が定まらないのであるが、その無計画性もタイムトラベルの一興と考えればかえって面白いかもしれない。


500年前 まずは今から500年ほど前の日本に降り立ってみよう。時代劇や大河ドラマなどを見ていると、そこに出てくる「医者」なる職業の人が用いるクスリというのは大抵、黒くて球形をしている。あれは一体何なのだろう。そしてどのような効き目、薬効があるというのだろう。江戸時代あるいはそれ以前に現代でいうところの「医薬品」と呼称しても良さそうなクスリなど、その存在は期待出来そうになく、そうだとすればいかに当時の名医とはいえ、その名医が診たとあっては残念ながらその患者さんは死期が近いということとおよそ同値であったことだろう。

恐らく黒い”丸薬”は気休め程度にしかならない。これをクスリとしてよいかどうかが怪しいとすれば、これを処方する行為自体が今で言う医療行為と言えるかどうかすら定かではなく、その処方をする「医者」は医者と言えるかどうかもわからない。とはいえ現代においても残念ながら「その患者さんには処方されたクスリが全く効かない」うえに「副作用が発生」することはそれなりにある。であれば結果的に効かないクスリを処方する行為が医療行為ではないとするのは条件が厳しすぎるということにもなるだろうか。


さて、クスリはご存じの通り草かんむりに「楽」の文字が合流して「薬」である。その意味において当時、仮に「クスリは何から作られるか」と問うたならば、プロトタイプ(代表的事例)は植物由来であったことであろう。もちろん、「熊の胃」「ガマの油」などもあって、洋の東西を問わず科学が進展していない時代におけるクスリとはその効き目が保証されていないどころか、毒性しかない、甚だ怪しい代物も混ざっていたようではある。 それでもなおこの時代においては「クスリは存在していた」とする方が妥当にも思えてくるのは、どうやらクスリとは「自分には効果があるかどうか確実性は無いし、副作用の危険性もある」ものであって、「何から作られているか一般には理解されておらず、信用出来る人物(医師ら)から提供されなければ決して身体の中には入れたいと思えない怪しい物質」といったところにその本質があるからなのかもしれない。 紀元前 ということで、500年ほど前には既にクスリのようなものはあったと、ここでは結論づけておこう。確実にクスリの無かった時代にタイムマシンで降り立つには「最初のクスリは何か」をまず考えないといけない。さてそれは一体何か。その問いに対して相応に合意が得られるとしたら、残念ながら悪名高きアヘンのように思えてくる。アヘンはケシから採取されるものであるが、医学の父と呼ばれる古代ギリシャのヒポクラテスもまたクスリの原料として良くケシに言及したといわれている。 とは言っても、ケシ全般からアヘンが採取できるというわけではなく、アヘンが採取できるケシの種類はごく一部に限られるらしい。この辺りの事情はその栽培が禁止されている現代にあって私も詳しく無いのだが(詳しいとしたら怪しい?)、19世紀のイギリスでは特にケシの栽培に制限があったわけでもなく、タバコよりも広く普及していたという。 思えばそのタバコも今では趣向品に分類されるが、アヘンが気持ちを落ち着かせる目的でも利用されていたことからすれば恐らく当時の認識として、アヘンとタバコ、クスリと趣向品との境界線は犬とオオカミ同様にさほど明確でもなく、クスリの一種であるという主張もできそうだ。加えて、より広くクスリを広義でとらえるのであれば、同様に植物から採取されるという意味で緑茶や紅茶も然りである。ということで、タイムマシンで降り立つべき時代というのはアヘンやタバコ、お茶が登場するその前、紀元前、それも古代ギリシャ時代よりも前というのが正解かもしれない。 さて、アヘンの悪名が高いのは有名なアヘン戦争によるところも大きいだろう。この戦争は、中国国内で禁止していたアヘンについてイギリスが問答無用に輸出販売を繰り返したことを契機としたものである。であるが故に正義は中国側にあるように思われるのだが、結果としては軍事技術で圧倒していたイギリスが勝利し、以降はより多くの中国人に不幸がもたらされたと伝えられている。 皮肉にもアヘンの代表的な効用は多幸感であって、この性質が転じて痛み止めや精神疾患等々、当時は万病に効くものと認知されており、またその依存性や処方量が増えれば死に至ることなどもかなり早くに知られていたという。その後、アヘンは多くの成分が複雑に混じり合ったものであることが確認され、中でもその主成分としてアルカロイドなる化合物種が特定されたことから、今度はアヘンからこの成分が抽出され、モルヒネ、コデイン、コカインといった、いよいよ現代人の私たちにとってもクスリらしいものが商品化されていったのである。 中でもアセチル化したモルヒネがこれまた悪名高いヘロインであって、要するにこうした“薬効群”にはどうしても依存性という副作用がつきまとうため、本来ならばパイオニアとして敬意を表したいところのアルカロイドが現代では“毒”にカテゴライズされているのは皮肉である。ただ、不思議とこれらを「ポイズン(毒)」と呼称することはなく、日本では何故だか「ドラッグ」と呼称され、その依存症は「ドラッグ中毒」である。医薬品も英語ではDrugであるが、日本では「クスリ」といえば医薬品、「ドラッグ」といえば何故だか医薬品ではない。サーモンと鮭、ツナとマグロ、ドラッグとクスリ。日本語表記と英語表記とで意味合いが違ってしまう。不思議である。


1800年代 さすがに「クスリの無い時代」を紀元前までさかのぼるというのはいささか話が大きすぎたかもしれない。もう1つの、クスリ第1号の候補を考えてみると、現代における主だった医薬品がそうであるように、「自然界には存在しておらず、人間が作り出したもの」としての合成化合物に限定した中から考えるという立場もあるだろう。 その視点でいうならば今度は随分と最近のお話ということになり、どうやらそれは抱水(ほうすい)クロラール、時代は1832年である。化学者であるドイツのリービッヒ博士が合成した、自然界には存在していなかったこの化合物について博士自身はまさかクスリとして利用されようなどとは思っていなかったという。 抱水クロラールは塩基と反応して簡単に睡眠作用のあるクロロホルムを生成することから、1850年代には手術の際に患者さんを眠らせる目的で処方されていたとのことである。クロロホルムもまた、現代では犯罪に使われてしまう方で有名であり、然るにクスリの第1号候補らはそれぞれスネに傷をもつ、敬意を持って表しづらいものばかりと言えなくも無い。 人類登場前 クスリというものをもっと広義にとらえてみたとき、タイムマシンで降り立つべき時代はむしろ人類登場の前という見方もあろう。我々が活動のエネルギーとして主に口から摂取する「食べ物」というのは必ずしもクスリと明確な線引きが出来るものでもない。食べ物に含まれる栄養成分の研究はれっきとした疫学分野でもあって、例えばちょっとショッキングな研究結果には「白米は身体に良くない」などもあるのだが、主に食事によって摂取されるビタミンやミネラルなどはその成分だけを取り出せば「クスリ」と何ら区別出来るものでもない。 また、その効果を研究によって示せれば、「食べ物」ではあっても特定保険用食品(トクホ)、栄養機能食品、健康食品など、国からお墨付きを貰えることもある。こうしたラベルが付けば「医薬品」では無いものの「食べ物+クスリ」という色合いも濃くなるし、必ずしもお墨付きを貰えなくても勝手に(?)薬膳料理と名乗る料理もある。 更に、規制サイドとしても食べ物とクスリをさほど切り分けていない国もある。アメリカでは医薬品を認可する行政組織はFDAであるが、これはFood and Drug Administrationの略称であり、つまり食べ物(Food)とクスリ(Drug)のどちらも管轄している機関である。 すなわち、人類が地球上に降り立ったその日から恐らく「食べ物」は身体の中に入れていたであろうことから、医食同源の立場にたてばクスリの無い時代とは人類のいない時代という立場もあろう、という話である。これは見方を変えるならば「クスリの歴史は人類の歴史」と言えそうなのだが、製薬企業の社員がこう語ったのではいかにもポジショントークが過ぎようか。

今回はクスリの始まりについて時代を往来しながら概観を試みたところであったが、そこに登場したクスリの”大先輩“たちは思いがけず光よりも影の部分が際立ってしまうものばかりになってしまった。もちろん、私はクスリ否定論者ではなく、それどころか現代人の寿命を大きく引き延ばした主因子であると確信さえしている。クスリの「光」の部分については次回以降で取り上げたいと思う。


さて、引っ越してきた新居から歩いて5分以内にコンビニなら7~8店、大手チェーンのドラッグストアなら2店舗ある。東京の街は便利だ。思えば「ドラッグストア」の「ドラッグ」は例の「ドラッグを扱っている」お店では決してない。それどころか「クスリ以外もたくさん売っている」意味合いが含まれる。「ドラッグ」だと違法性のあるクスリなのに「ドラッグストア」だと違法性は消失し、いわゆる薬局とまた違う。何ともややこしい。


(了) 第5回につづく

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